リペア・パーツ
これは、旦那にとって飯をつくらせるのと同じだ。
俺と寝るのが少し、お気に召したってだけで。
ああでもなんだろうな、この人に欲しがられると、なんでもやっちまいたくなるんだ。
ブゥン——……と機械的な作動音が、この部屋の沈黙だ。無数のモニターからはブルー・ライトが放たれ、簡素なデスクチェアに座る男の痩けた頬を、月明かりさながら青白く照らしだしている。
薄暗がりに生きてきた人間にとっては、実体のないホログラムであっても、陽の下にさらされるのは落ち着かないものなのか。
背後まで近づいた槙島に、グソンはメイン・モニターを凝視したまま気づかない。あるいは気づかないふりをしているか、特に反応する必要もないという判断か。いずれにしても、用があるならこちらから声をかけるまでのことで、槙島にとっては、どうでもいいことだった。
よく耳をすませると、ファンのうなりのなかに、ジジジジ……とCPUの駆動音が聞こえる。サブ・モニターのいくつかにはデータ解析の進捗が示されている。それを待っているのかと思えば、机上に投げ出されていた手が、不意に端末キーボードを叩き出した。ホロ・キーに設定された打鍵音が、軽やかにうちならされ、めまぐるしい勢いで画面にプログラムが書き込まれていく。骨張った指にも、彼の好みを反映した感触のタクタイルが伝わっているのだろう。
タッチ・タイピングは雨音のように途切れなく、迷いなく、規則的で、聞き心地がよい。槙島は片手にたずさえた本を開いた。スタニスワフ・レム『虚数』——意図の絶望的な無益さとしてのエロティシズム、そして投影幾何学の練習としてのセックス——架空の序文をなぞる白い指の先から、ブルー・ライトに照らされた文字が、今にも浮かび上がりそうにちらついた。
優れたプログラマーは、コーディングを始めたそのときには、すでに完成形が頭の中に存在しているという。
つまりチェ・グソンはひらめきを得たわけだ。
槙島は雨だれがやむまでページをめくり続けた。本の内容がすらすらと頭に入ってくる。一文字も余さず、脳に知識が蓄積されていく。この瞬間が終わるのは惜しいと思うほどに。
だが至高の時間は、本の厚みが三分の一を過ぎたあたりで終わりをむかえた。最後のキー・タッチの静かな余韻が、グソンのため息にかきけされる。
「何か御用で?」
「邪魔をしたかな」
槙島は本を閉じてグソンの横から画面を覗きこんだ。真っ黒なウィンドウを美しく整頓された言語が埋め尽くし、末尾でキャレットが点滅している。
「いえ、一段落したところです。これを搭載するヘルメットの設計について、もう少し詰めたいところですね」
「ああ、それなら丁度いい。車を出してほしいんだが」
「……泉宮寺さんのところですかい? 俺の件はメールを送れば済みますよ」
グソンの口ぶりはいかにも、今日はもう休みたいんですがね、と言わんばかりであったが、槙島は有無を言わせぬ微笑で抗議をはねのけた。
「ところが君も共にいかなければならなくてね。まあ、詳細は車で話そう」
「はいはい、仰せのままに……」
グソンは携帯端末——これは街頭スキャナーを避けるためのクラッキング・ツールでもある——を手に取り立ち上がった。
「昨日から寝てないんですけどねぇ……」
「到着するまで寝ていればいい。それに向こうでも睡眠をとる機会がある」
槙島の言わんとしていることがわからなかったグソンは「はあ」と曖昧に返事をした。
グソンの生活リズムは、槙島の影響を大いに受けていた。彼はきわめて規則正しい生活を営む。そのためスパーリング・パートナーをつとめたり、飯を作ったりするのも、必然的に同じ時間になる。だがショート・スリーパーである槙島の生活に完全に合わせるのは不可能だ。
携帯端末を起動する。時刻は午前をまわっている。
自然と運転席につくグソンの横から、槙島が目的地を操作した。設定されたのは、泉宮寺邸ではなく、その傘下にある病院だった。
ふたりの間の沈黙は珍しくもない。エンジンがかかり、タイヤの走るくぐもった音を聴きながら、片方は暇つぶしに端末をいじり、片方は読書に興じる、もしくは物思いにふけるように遠くを見つめている。そんなときは、思考の内容がひとりごとのように口から吐き出されることがある。グソンは槙島の思想によくよく耳をかたむける。それはときどき、彼の底知れぬ深淵を垣間見るような、ゾクゾクする戦慄をもたらした。
乱れた自律神経による、妙な高揚感が睡眠欲を阻害する。
サイドガラスを流れるホログラム・イルミネーションの夜景、その手前にうつりこむ槙島の物憂げな横顔。その口が開かれるのを待ちきれず、グソンの義眼が後目にうかがった。
「で……何をするつもりなんです?」
「ああ、君のパーツだよ。ほとんど出来上がって、あとは移植するだけだ」
「は……?」
グソンはぽかんと口を開けて槙島をふりむいた。槙島の無表情な口元が、悪戯が成功したこどものようにふっと弧を描く。
「……いつの間に? スキャンを誤魔化す方法が完成したらって話でしたよね?」
「君ならできるだろうとね。《《頼みごと》》を聞いてすぐに」
「はは……そりゃあ、どうも」
グソンはまた前を向いた。
しばしの沈黙が流れる。睡眠不足を抱えた脳がじわじわと状況を認識していくとともに、義眼の目がみひらかれ、槙島を再度ふりむいた。
「……ってことは、これから」
「うん、微調整は必要だろうが、明日には帰れると思うよ」
「えぇ……」
にっこりと笑う槙島に、グソンは働かない頭の中で、ちくしょう、と悪態をついた。良いツラしてやがる。
あきらめて目を閉じてみるが、眠れそうにもなく、グソンは槙島と反対を向いた。外の景色をぼうっと眺めているふりをして、ガラスごしに完全無欠の顔貌を観察する。おまけのように流れていく人工的なイルミネーションを、槙島聖護という天然の美が圧倒していた。
完璧すぎるものに情欲は抱きにくい。人間味が薄いのいうのだろうか、相手と自分が同じ生物であるようには、どこか思えないのだ。
グソンが槙島を《《対象》》として見なかったのも、同じような理由だった。何度も殺しをやり、猟奇に触れ、どぶのような廃棄区画を歩こうと、穢れることのない鮮烈な白。ストイックな生活に裏付けされる、優れた知性と肉体。享楽にふける姿など想像もつかない。
だがまさに現実離れした事が起こった。グソンはその光景をありありと覚えている。義眼の機能を使うまでもないことだ(それはそれとして、衝撃のあまり記録し忘れたことは悔やまれる)。
つめたい唇のやわらかさ、唾液のあまみ、上気した頬、汗ばんだ肌のはりつく感触。グソンの手つきにするどく反応し、したたるように漏れる息。イデア=真実の美を追い求めるように、存在しない器官の幻影に手を伸ばし、つかみとったエクスタシーの瞬間。
それはある意味で究極の《《セックス》》だった。
透明なウィンドウに映った槙島の口元が、笑みの形をつくる。
グソンはハッとした。澄みきったまなざしが、反対のガラスにうつるグソンを観察していた。
「どうやら、すぐ必要になりそうだ」
「……からかわないでくださいよ」
グソンは苦笑いして、今度こそ目を閉ざした。
あの出来事があってからも、槙島の態度にはまったく変化がない。グソンの槙島を見る目は変わったが、槙島のグソンを見る目はそのままだ。槙島にとっては、ただの一過性の興味に過ぎなかったのだろう。快感への反応も生理現象でしかない。そう自分に言い聞かせねば、あらぬ妄想に取りつかれそうだった。
——あなたは、そうまでして俺に抱かれたかったんですか? 澄ました顔してエロいこと考えていたり、あの時のことを思い出したりするんですか。俺が旦那をみて、その白いケツにあなた自身があつらえたモンをぶちこんで、よがり狂わせてやりてえと思うことがあるように。こんなに早く願いが叶いそうだなんて思いませんでしたよ。本当は俺と寝たくてたまらなかったんですよね? 早く欲しくて待ちきれなくて、だからすぐに取りかかったんですよね。違います?
グソンはそこまで考えたところで、自嘲の笑みが堪えきれなくなった。
なんて、ばかげているにも程がある。これから先に待っているのは、ただの報酬だ。自分が望むのならあの人は娼婦にでも、生娘にでもなりきってみせるだろう。そのくらい無意味な行為でしかないのだ。
「もうすぐ君は、失われた器官のかわりに、あらたな部品を手に入れるわけだ。……楽しみかい」
「そうですねぇ……」
グソンは義眼を閉ざしたまま、あやふやな返事をした。早くそれで旦那を鳴かせてみたいです。吐かれなかった続きの言葉は、おもだるい脳に吸い込まれ、ヘッドレストに沈みこんでいく。
からだが重い。白い肢体がまたがって上下している。鍛えられた胸板をそらし、気だるいしぐさで若い陰茎をしごきながら、股ぐらの奥に赤黒い肉棒を見え隠れさせる。
ほらほら、もっと動いてくださいよ。そんなんじゃイけないなぁ。
片手で硬い太腿を二度たたき、腰を数度突き上げる。
一分の隙もない肉体が倒れこみ、シーツに手をついて起き上がる。前のめりになった腰がなんどもくねる。ふっくらとした陰嚢が下腹に何度もやわらかく着地する。はあっ、はあっ、と振り乱される銀髪から汗が飛び散る。
ああ女よりよっぽどいい。激しく動く体力があって、いいところで休憩されるなんてことがない。多少乱暴にしたって壊れねえ。その上、旦那はそこらの整形した娼婦なんかよりよっぽど美人ときた。
動きにあわせてピストンしてやると、うめき声とともに、熱いしぶきが顔まで飛んでくる。
また汚しちまって、ちゃんと舐めて綺麗にしてくださいよ。
荒い息づかいと舌が、頬を、眉間を、目蓋を、義眼の表面をねっとりと這っていく。あつめた精を唇がすすりとる。
「チェ・グソン……」
なんてエロい声出しやがるんですか。
たまんねえ、と首根っこをつかんで口付ける。性急に舌をさしこむと、積極的な応えが返ってくる。互いに口を大きくあけて食らいつくように貪り合い、唾液で口のまわりがべとべとになるのも厭わずに、粘膜を犯し犯されることに没頭する。
槙島という男は、清廉潔白を体現する雰囲気をまといながら、さも当然のようにセックスの作法にまで通じている。頸動脈を切り裂くような手つきで理性を切り分け、あふれだした官能の蜜に肉食獣さながら食らいつく——。
「槙……島……さん」
「お目覚めかな」
グソンはカッと義眼をむき出しにした。至近距離に金色のまなざし。吐息を吸いこむほど近い唇が濡れていた。
一瞬にして状況を理解した。心臓に氷を押しつけられた気分だった。止まった息を吐き出しながら「すみません、寝ぼけちまってたようで」とかろうじて声を出す。首の後ろにかけた手を離すと、槙島は何事もなかったように身を引いた。開いた扉から涼しい夜風が車内を換気する。寝入っているうちに目的地へ到着していたらしい。
「良い夢を見れたかい」
「……悪夢ですよ」
槙島はルーフパネルに腕をおいて、愉快そうにグソンを見下ろしている。
「君はずいぶん幸せそうな顔で悪夢をみるものだ」
「正確には、悪夢になっちまった……ですかね」
「きっと後で続きを見られるさ」
それより、早く降りなよ。と槙島にうながされてグソンは車から降り立った。
真夜中だけあって、駐車場はがらがらだ。眼前には、人工人体パーツ、サイボーグ技術に特化した医療施設が、夜闇に城塞のごとくそびえ立つ。
堂々と歩いていく槙島の隣に追いついて、義眼をそこかしこに向けても、街頭スキャナーはひとつもない。さすがは泉宮寺傘下といったところか、この分なら院内にもスキャナーはないだろう。
とっくに診療時間を終えている待合室は閑散として、受付には誰もいない。清潔さを象徴する白い空間は、真昼の太陽並みに網膜を刺激する。どうにもこのような場所は、グソンを落ち着かない気持ちにさせた。ドブネズミのように生きてきた者にとっては、誰でもそうだ。槙島はその中にあって溶け込むどころか、変わらぬ鮮烈な存在感をはなっている。この男にとっては、おそらく、どこもかしこもが場違いであるのかもしれない。日射し降りそそぐカフェテリアも、汚らしい浮浪者のより集まる廃棄区画も。
槙島は、広い院内を迷いのない足取りで進んでいく。ときどき少数のスタッフとすれ違うが、誰もふたりを気に留めない。グソンの知らぬ間に、何度も足を運んでいることは確実だった。槙島の造形は髪の一本にいたるまで天然物だ。こんなところに足繁く通う用件はひとつしかない。どんな心持ちで? 槙島のすらっと伸びた背筋に、機械的な視線がピントを合わせる。これから自分を犯すものを設計する気分ってのは、どんなもんなんです?
「君の身体の仕様だが」
まるでグソンの思考を読んだかのように、槙島が語り出す。
「ある程度は、遺伝情報から再現したよ。色素、形状、大きさ……」
槙島はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、含みを持たせるように言葉をきった。
「忘れてくれませんかねぇ、ベッドでの睦言なんか覚えてたって仕方ないでしょう」
「忘れるなと言ったのは、誰だったっけ」
「それは……ああもう、勘弁してくださいよ」
グソンが音を上げると、槙島は勝ち誇ったように鼻で笑った。あとでやり返そうという意思を固めていると「ここだ」と槙島が立ち止まる。
いくつもの病室のうちの扉がひらかれる。とっさに監視カメラの位置を確認するのはくせのようなものだった。室内はベッドと医療機器があるだけのシンプルな内装だ。ベッドの上には手術衣が畳まれて置いてある。
槙島はモニターをひとつ操作して、画像を表示させた。
「それが、俺のパーツですかい?」
「ああ」
平常時と勃起時のふたつのデータを見るかぎり、それなりに立派なようだった。それなりというのは、ホログラムであればまだしも、平面に表示されたものを見てもいまいち現実味をつかめなかったからだ。
「義体は人体よりも高性能にできる。もしカスタマイズしたい機能があるなら、ある程度はまだ融通がきくはずだ。何かあるかい」
「特に思いつきませんね。普通でいいですよ。ま、旦那の趣味で、えげつねえのが好みだってんなら、喜んでなんでもつけますけどね」
「考えておこう。面白い機能があるかもしれないし、後から付け足すこともできなくはない……」
「……冗談のつもりだったんですがね」
それとも槙島も冗談のつもりだったのだろうか。
いや旦那なら本気でやりかねない、とグソンは苦笑いした。
「手術は朝一の予定に入っている。着替えておくといい。眠っている間に麻酔をかけられて、目覚めたときには終わっているよ」
「なにかないんですか、術前の説明とか……」
「水分を摂らないことくらいだね」
槙島はベッドに腰かけて手術衣をひろげてみせた。
チェ・グソンという男は、この国では存在しないことになっている。医療を受けるには身分が必要だが、個人での偽装にも限界がある。今この場所にいるのも、槙島の人脈があってこその特別措置だ。グソンはしかたなく上着に手をかけた。脱いだ先から籠の中へ乱雑に放りこんでいく。
「ああ、下はまだ脱がなくていい」
「そうですか」
一瞬、躊躇したのが見抜かれたのだろうか。グソンはずりおろしかけたボクサー・パンツから手をはなした。
槙島が手術衣を差し出してくる。それを受け取ろうとつかんだとき、金のまなざしがグソンをまっすぐにつらぬいた。槙島の手は白い布地をつかんだまま離れない。
熱情的な視線。色めいた空気が一気にたちのぼる。
「……旦那」
誘われるままに首筋へ唇を寄せ、耳の後ろに鼻息を擦りつける。クリーンな香りの奥に、花のような甘い毒が潜んでいる。
「もう続きをみせてくれるんですか」
ぐっと肩をひかれて視界が反転した。はげしい音を立てながら抵抗する間もなくマウントポジションをとられ、リクライニングに背中を預けるかたちで槙島を見上げる。夢の中の光景そのもののようだった。様子をうかがうグソンの目の前で、鈍色の剃刀がなめらかに伸びる。
槙島の指は、金属とおなじくらい冷ややかだ。グソンの頬から顎にかけて、どちらともしれない感触が滑り。
さり、と唇の横をうすく削ぎおとされた。
「さっきも気になってね」
義眼がわずかな作動音を立てて、槙島の指につままれたものを確認する。一ミリほどの無精髭が、ふっと吹きかけられた息によってどこかへ消えた。他にも残っていないかざらつきを確認するように、槙島の手によって顎を入念になでられる。
「それは失礼を。あまり生えないんですがね」
「ああ、君、肌が綺麗だよね」
「あなたが言いますか」
グソンは苦笑いした。褒められて悪い気はしないが、美の象徴のような男に言われるのは複雑な心境だった。
槙島のきめ細やかな肌は、亡き祖国の新雪を思わせる。頬をつたって顎をつかむと、雪景色がゆっくりと視界に広がり、しめった吐息がグソンの鼻先をかすめた。
「テストステロンのほとんどは精巣から分泌される。そのせいかな」
「旦那はついてるじゃないですか」
なのに、まるでやわらかな石膏だ。グソンは槙島の頬辺をくちびるでなめるように口付けた。いつまでもこうしていたくなる。いや、それはそれで生殺しだろうか。
性的な意図をもって腰をなでると、耳たぶに噛みつかれ、カチッとピアスが歯に当たる音が鳴った。無防備な首筋を食みかえす。息の震えるようなほんの小さな反応も、耳元であれば聞き逃さなかった。
「君は九十五パーセントのテストステロンを失ってもなお……盛んなようだ」
「旦那を見て、何も感じないほうがどうかしてます」
「最初は僕にそういう興味はなかったようだが」
「今となっては信じられませんね」
ちゅ、ちゅ、とわざとらしい音を立てるキスをうなじに繰り返す。すべらかなシャツごしに腰部をくすぐる。後頭部を抱きながら襟足をやさしくかきわける。
腹に硬度のある感触がつたわっても、直接的な愛撫は与えない。それは手っ取り早く事をすませるための野暮で不躾なやり方だ。先の赦しを乞うように、奉仕することのよろこびを訴える。そうして心を尽くすことで、自分の気分もまた盛り上げていく。
槙島は満足げな、熱っぽい息を吐き出した。耳孔を通るくすぐったさにグソンが身じろぐと、唇が追いかけてきて、ピアスのフレアにかちっと歯を引っかけるように耳たぶがすくわれる。
そういえば、とグソンは、術前には金属物は取り外す必要があることを思い出した。
「そっち……外してくれますか」
「……いいよ」
自身は身につけたこともないであろうピアスを、槙島は器用な手つきで外していく。ダブルフレアを貫通するオービタル・ピアス、残ったアイレットを慎重に引き抜こうとする。
「自分でやりますよ、取りにくいでしょう、それ」
「痛かったかな?」
「いえ、痛くは、っ……」
フレアの隙間から侵入した槙島の舌が、ピアスホールを舐める。唾液の滑りをかりたアイレットが、耳たぶにわずかな引きつりを残して外される。残ったもうひとつのアイレットは、牙を突き立てるようにして口で引き抜かれていく。
「っ、槙島さん……」
むきだしになった空洞に舌を差し込まれ、もてあそぶように舐られる。鼻先でわらう息にさえ、不覚にも逃れるように背筋が引けた。
「君の弱点はここかい、チェ・グソン」
耳打ちするような低い響きは愉快めいている。正直に言えば、それは反則技です、と両手を上げて降参したいくらいにはよく効いた。しかしまだそうするにはもったいない。
「違いますよ」グソンが余裕を見せつけるように笑うと、槙島は「ふうん?」と身を起こした。金の眼光が本音をあばきだそうとする。シビュラのフェイス・レコグニションよりもあざむきがたい、幽遠なまなざし。
答えなんてわかりきっている——旦那が、俺の弱点なんですよ。
「そっちも取ってあげようか」
槙島の目は、グソンが放ったらかしにしていた片耳を指摘した。忘れるくらいだったのに、それでも認めないのか? と言外に含まれている。それが槙島の揺さぶりであることをグソンは経験上知っていたし、尋問に対する対処法は、工作員には必須技能だった。
「お構いなく」
何事もなかったように残ったピアスを外すと、槙島は少し不思議そうな、不意をつかれたような表情をみせた。思った通りだとグソンは片頬をつりあげた。
槙島は他人の心を見透かし、そのカリスマ性でもって操作する術に長けてはいるが、自分自身に関わる事となると、ほんの少しではあったが鈍い一面があった。そして案外、負けずぎらいに近いところもある。勝ち負けそのものにこだわるタイプではないが、過程に価値を見いだす。
月のように静かな瞳が、その反応のひとつも見逃さんと、瞬きせずにグソンを見つめる。白い手が首を絞めるかのように巻きついてから、引き締まった胸板、鳩尾をたどって、そこがあらたな弱点だとでもいうように下腹部に到達した。
グソンは目をそらすことも身じろぐこともしなかった。ふたりの視線は交差したまま、槙島の手のひらがゆっくりと、膨らみのない股ぐらに触れた。
「……見られるのは嫌かい?」
「いえ。ただ、ろくな処置をしてないんで、見て気持ちいいもんではありませんが……」
と言っても、旦那は慣れてますかね。と思いながらグソンは腰を浮かせた。槙島は許可を得てしまえば、何のためらいもなく下着をずらした。
股の間の茂りがあらわれる。昔と違って処理しなくとも、そこは向こう側が透けるくらいに薄い。陰茎の根本、止血と拷問をかねて焼かれたケロイドのあとには、何も生えていないからだ。かろうじて尿道を通しただけの手術の名残り、中身を抜き取られた陰嚢。
見せなかったのはあえて見せる必要がなかっただけだ。あの時も脱がなかったのは単に、《《無い》》ものが目に見えると、想像体験の邪魔になりそうだったから、ただそれだけに過ぎない。
跡地を見下ろす槙島の目にこれといった感情は浮かばい。けれどもごわついた生え際をなでる指先はそっと優しかった。
「失ったとはいえ、これはまぎれもない君だね」
槙島は、まるで《《欠けた部分を失う》》ことを惜しむように言った。
「旦那を抱けないモノに用はありませんよ」
おどけたように言って、またがる腰を引き寄せ、腰をかるく突き上げてみせる。
「んっ……」——低い声が漏れた。槙島は自分でもおどろいたかのように、金の目を瞬かせた。
グソンの脳裏に、あのめくるめく夜の記憶が一気によみがえる。都合のいい妄想が頭をかけめぐり、欲望の血が《《幻肢》》に集中する。
「……もしかして、結構楽しみにしてます?」
槙島はふっと笑うと、グソンの膝頭に体重をずらし、剃刀をふたたび開いた。
「冗談ですよ、旦那……っ」
「動かれると手元が狂いそうだ」
股間に刃をあてがわれ、グソンは顔を引き攣らせた。無いものが縮こまる気分になる。たぎりかけた錯覚はすぐに萎んだ。
研ぎ澄まされたうすい氷が、陰毛の一部をざっくりと剃り落とす。
「どうせ必要だろう?」
槙島は眩しいほどの笑顔で、剃刀についた残骸をぬぐった。
「せめてジェルとかクリームはないんですかね……」
「そうだな……」
はらはらと散らばっていった硬毛を追いかけるように、槙島が頭を落とした。グソンは思わずその後頭部をつかんだ。
湿り気をおびた舌が、なめくじのように皮膚を這う。旦那、と呼びかけた制止の声は、ため息に変わった。
「唾液には、リゾチーム、ラクトフェリンといった殺菌作用が含まれている。傷の治りを早める、上皮成長促進因子も……動物が傷口を舐めるのはそういう理由さ」
グソンの放置された繁りを、槙島はまさしくグルーミングをほどこすように舐め湿らせた。あてがった剃刀の上から、赤い舌が、濡れたような刃にさらなる潤いを与える。
「……昔は、唾つけとけば治る、なんて言われてましたっけ。都市伝説だとか、口内は細菌だらけでかえってよくないとか……そんな話もあったような気がしますけど……」
「ああ……だが医療技術の発展で、人は野生動物のように傷をなめて癒すことなんて必要なくなった。いまや《《傷の舐め合い》》なんて言葉も死語といえる……ストレス、トラウマ——精神的な傷でさえ、シビュラという免疫細胞が殺菌していく」
てらてらと濡れた毛並みを、氷の刃が削いでいく。むきだしになった角質を癒すように舌に撫でられる。得も言われぬ快感に、内腿がひきつり、頭をつかむ指に力がこもる。
「殺菌……ですか」
「この社会はまるで無菌室だ。だからこそ、僕たちには……こんな原始的な方法が似合うと思わないかい?」
数本の陰毛を槙島の唇がはさみ、ぴんと伸びた根元を剃刀がプツッと断ち切った。
「原始的、ね」
グソンは苦笑いした。たとえば、セックスですか——頭に浮かぶのはそればかりか。中年にもなっておそらくひと回り以上も年下の若い男に懸想し、情けを乞うなど笑えない。
この皮肉なまでに美しい男の危険なわけは、たとえ振り回され、使い潰され、絞り尽くされ、あげくに用済みの廃棄物として、なんの未練もなく捨てられる運命があったとしても、まあそれも悪くない、なんていっそ幸福な感慨まで覚えてしまいかねないということだ。まったくもって笑えない。
「ツルッツルにしちまうつもりですかい」
ずらしただけの下着を槙島に引き抜かれ、股を広げさせられる。グソンはもはや抵抗する気もなく、どうぞお好きなようにしてください、とされるがままに任せた。
「目に焼きつけておくべきだと思ってね」
「新しい俺も、同じくらい愛してもらえたらいいんですがね」
槙島はかすかな笑みをうかべた。また顔が伏せられ、湿り気がまたぐらを襲う。剃りきれなかった、足の付け根に近い箇所を舐められると、ケロイドがうずくように脈打ったが、槙島は傷痕そのものには触れることなく顔を上げた。
「準備万端といったところかな」
純白のシーツに落ちた毛をひどくぞんざいにベッドの下へ払いながら、槙島は自らもグソンの上から退いた。
「どうも、ありがとうございます」
なんとも微妙な気分だったが一応、礼は言っておく。さすがというべきか少し湿ったままの股間は、ごわつきもざらつきもまったくない、なめらかな肌触りとなっていた。
今度こそ手術衣を手渡され、グソンはそれを頭から被った。視界が布一面から病室にきりかわると、槙島はベッドの脇に立って、帰る素振りを見せていた。
「それじゃ……健闘を祈るよ」
「寝て起きたら終わってるんじゃありませんでした?」
「かもね。義体はつけたことがないから、わからないな。君のほうが詳しいんじゃないのかい」
「旦那ぁ。せめて夢は最後まで見させてくださいよ」
槙島は天使のように、いや悪魔のように微笑んだ。これはつまるところ《《だまれ》》と言われているにも等しかった。槙島の微笑は、あらゆる文句を帳消しにしてしまう威力を持つ。悪どいなあ、とグソンは内心で肩をすくめた。自覚しているのかしていないのか、アルカイック・スマイルからは読み取れなかったが。
「緊張しているのかい、チェ・グソン」
「そりゃあね……心の準備ってもんがありますよ」
「すぐに済むさ。明日には帰れる……それは確実だ。君の不在は、できるだけ短くしたいからね」
「そういうこと言われると、むしろ不安になってきますね……」
もっとも、一見頼りにされてるような言葉には、《《便利屋》》がいないと色々と面倒だという程度の意味しかないのだが。
きびすを返して退室しかけた槙島の背に、グソンはふと思いついた疑問を投げかけた。
「準備といえば……旦那、男と寝るときのやり方はご存知で?」
「君が帰るまでに済ませておくつもりだよ」槙島は振り向きざま、あっさりとした口調で言った。
「……そうですか」
病室の扉が閉まり、コツ、コツ、という足音が遠ざかっていく。
あの夜に少し触れた感じでは、一度も拓かれたことがないようにかたくなで、少なくとも慣れてはいないようだったが、昔に経験はあるのかもしれない。使わなければ閉ざされるが、一度でも男を受け入れた経験があるのなら、括約筋の拡張もそれほど難しくはないだろう。
グソンは自分の中で納得し、そして、情熱の夜に想いをはせた。
ざあと出しっぱなしのシャワーが、浴室をじっとりとした湿度で満たす。
槙島は浴槽のふちに手をつきながら、後ろに差しこむ指を三本に増やした。息苦しさに眉根がひそまる。痛みには耐えられるが、裂いて挿れるというわけにもいくまい。と、ぬるま湯のようになったローション・ボトルを手に取り、腰の上で握りつぶす。ぶちゅっと空気混じりに垂れた粘液を、肌になすりつけるようにして断ち切り、指で体内に押し込んでいく。入りきらずにあふれた潤滑剤が内腿を濡らした。
「……旦那?」
帰っていたのか、と槙島は息を吐き出した。
チェ・グソンの影が扉越しに立ちすくんでいる。
帰宅したはいいものの、家主はいつまで経ってもシャワーから出てこないし、流水音に変化はなくやたら静かだ。さすがに心配になって声をかけてきたといったところかな。
一瞬のうちに相手の状況を推測しつつ「ああ、おかえり」と返事をした。
槙島は、括約筋をひろげていた指を引き抜き、からだや床のぬるつきを水圧で手早く洗い流すと、ローション・ボトルを片手に浴室を出た。
「手術はうまくいったのかな」
面食らったような顔の男から、呆然と差し出されたままのバスタオルを勝手に取り、かわりにボトルを押しつけ、身体を拭きはじめる。
「……あー、えーと。多分、ちゃんとついてますよ。人工細胞や神経接続がなじむまで、激しいこと、は控えるようにということでしたが……あ、背中拭きますよ」
槙島はグソンに背中を拭かれながら笑った。
「多分ってなんだい」
「無闇に触ってぽろっと取れたりしたら、怖いじゃないですか。だからちゃんと確かめてないんですよ」
なるほど。と槙島は、背中にあきたらず髪の水気まで拭きだしたグソンに向き合った。
無機質な眼光と視線を交わす。目を合わせたまま一歩踏みこむ。鼻先がふれあう距離になると、耳のうしろを擦るタオル越しの指が鈍くなった。呼吸がわずかに浅くなり、よくよく見なければ気づかない程度ではあったが、唇が迷うように粘膜を食みあわせている。読み取れるのは、緊張。居心地の悪さ、淡い興奮、慎重に状況判断しようと、自制する理性。
グソンの呼気が、槙島の微笑を湿らせる。槙島は既のところで避けるようにうつむき、グソンの股座に手のひらを這わせた。そこにはたしかな膨らみの感触があった。
「旦那、だめですって、勃っちまいます……」
「性的興奮によって性器の勃起現象が起こるなら、神経接続がうまくいっている証拠だ」
指先で輪郭をさぐるようになぞっていく。細身のパンツの収容スペースは広くない。
「へえ。君はこっちなんだな」
「他人のポジションなんか知ってどうすんですか……」
「何気ない日常的な動作の中にこそ、有るという実感を得られたんじゃないかい、チェ・グソン」
やんわりと引き剥がそうとしてくるグソンの手に指を絡めると、プラスティックの眼差しにぎらりとした熱が灯った。視覚現象的にはいわゆる、気のせいという名の錯覚で間違いなかったが、噛みつくようにもたらされた口づけが直感を裏づけた。
「あいにくですがね……正直あなたとヤることで頭がいっぱいで、そんなことにかまけてる余裕はなかったんですよ……槙島さん」
離れた唇がそう言って、再び槙島に襲いかかる。
とがらせた舌先を挨拶でもかわすようにつつき合わせ、順に相手の咥内をまさぐり、互いの舌肉をしゃぶり、キスの中でのキスによって唾液中の遺伝子を交配させる。
無我夢中のようではあったが、グソンの手は槙島のむきだしの背中をバスタオルで覆うように抱きしめている。唇を奪った性急さと、紳士的な気づかいの裏腹さがおもしろいと、興が乗って腰を押しつければ、布地の中で窮屈そうに質量を増した男性器の、ドクッとした脈うちが伝わる。
はっとしたように引けた腰の、細く締まった尻をわし摑み抱きよせると、荒い鼻息がみだれて槙島を愉しませた。
「旦那、ちょっと、ンッ……」
逃げかけた唇に、今度は槙島が噛みつく。タオルが床に落ちる。肩を押し返そうとしてくる力をむりやり壁との間に挟みこめば、グソンは観念したように両手を離し、槙島の鍛えられた尻臀に触れた。爪の短い指が、潤んだ後孔をくすぐる。
「っ……」槙島が息を呑んだ隙に、グソンは槙島の拘束からするりと逃れた。
「待ってください、何か、おかしい……」
「……何が?」
「どこまでデカくなるんですか、これ」
グソンは焦ったように股間をおさえた。太ももに沿って、くっきりとした陰茎の形が浮かび上がっていた。
「君の希望を尊重した結果だが?」
「…………俺はいいんですけどねぇ、これを受け入れるのは旦那なんですよ、わかってます……?」
「僕がいれる側なら、わざわざ君につけたりしないだろ」
「そういう問題じゃないんですよ」
グソンは困惑をあらわにしながら、落ちたバスタオルを拾って槙島の肩にかけなおした。
「ちょいと、失礼しますよ」と、欲望に突き動かされるものとは異なる、慎重な手つきが槙島の臀部をなでる。割れ目にそっと指をさしこまれ、反射的に身がこわばった。
「……ああ、やっぱりね。これじゃ入りませんよ」
ぬぷ、と入りこんだ指先が、触診さながら体内のひらき具合をたしかめる。槙島とグソンの指の太さはさほど変わりなく、指一本程度なら抵抗はほとんどなかったが、グソンの言うところ、彼の新しい性器をおさめるには不十分のようだった。
「最低でも、物理的な挿入ができる程度には拡張したつもりだったんだが、悪いね。でももう少しやれば充分だろう」
「いやいや、全然足りませんって」
「多少の苦痛は想定内だよ、気にしなくていい」
「あのですねえ……」
指がずるっと引き抜かれ、排泄感にも似た感覚に息が詰まった。槙島の身を案ずるようにグソンの手のひらが背中をさする。
そこまで丁重にあつかわれるほど、やわな身体ではないということは、グソンもよく知っているはずだが、これは彼の性分だろう。目的の前に余計な情をはさむようなら問題だが、そこは分をわきまえている男でもある。
それにこの件については、グソンの頼みごとを——依頼といってもいい——引き受けた形だ。彼には手順や方法を選ぶ自由がある。
槙島はおとなしくグソンに身をゆだねた。力を抜くとほっとしたような気配がして、髪にドライヤーの温風をかけられる。かいがいしいことだ。
「ひとつお尋ねしておきたいんですがね」
「何かな」
静音性の機械は会話を阻害しない。グソンの指は頭皮を心地よい強さでかきわける。この男の器用なことといったら、なんでも任せてしまいたくなる。
「旦那は、えー……経験はあるんで?」
かなり濁した言葉だ。グソンはもともと慎重な男ではあったが、槙島の過去に関わることとなると特に顕著だった。槙島はその意気地なさを一蹴するように鼻で笑った。
「それは、男性器あるいはそれに準ずるものを、肛門に挿入したことがあるのか、という意味の問いでいいのかな」
「ええ、まあ、はい、そういうことです」
「一度もないよ。前にも言ったように、あまり行為そのものには興味がなくてね」
「それは……、そうでしたか」
知識はあった。男同士の性行為の方法、肛門から前立腺を刺激することによる快楽。同性に忌避感があるわけでもない。槙島にとっては、相手が女性でも男性でも同じことだった。性的快楽そのものは性器を刺激すれば得られるが、性的興奮というものをはじめて味わったのは、まったく別の機会でのことだ。結果的にセックスという行為を追及するまでもなく、次におとずれた機会は、男としての性機能を失った男、チェ・グソンの幻肢から得られる快楽に興味を持ったときだった。
それも、相手がこの男でなければ、実行にまでは移さなかったのかもしれない。
「相手が未経験だと面倒だと感じる者もいるようだが、君はどうなんだい」
自虐的な意味のない、ほんの好奇心からの問いかけだった。答えが返ってくる前に、髪をなびかせる風が止まる。
「どちらかといえば、そうですねぇ……遊び相手にするなら処女は向かない」
グソンはまるで槙島と目を合わせまいとするように、そっぽを向いてドライヤーを片付けた。振り向いたと思いきや、今度はあらたに寝衣用のゆったりとしたカットソーを頭から被せられる。チェ・グソンという名のAIセクレタリーでも飼っている気分だった。
「だが君は、少なくとも僕が慣れていないことは知っていたね」
「……言わせるつもりですかい?」
濡れたバスタオルを洗濯機に放り込む、グソンの横顔に苦笑いが浮かんだ。残った下穿きと新しいバスタオルと使いかけのローション・ボトルを抱えて、振り向いた男と、ようやく視線が交わる。
細長く吊り上がったまなざしから、ある種の情、が伝わった。正確には、槙島はグソンに対してそのような印象を抱いた。
虹彩をまねた赤褐色と瞳孔のかわりの光源からは、正確な情報を読み取れない。性的行為経験の有無を打ち明けたことによる、主観的な印象である可能性は念頭に置かなければ。だがどうだろう。
「ベッドにいきますか」
肩に触れる手つきはやけに、物柔らかだ。
グソンの提案そのものに槙島に異論はなかった。促されるまま彼の寝室へ行く。
この男は要領がいい。大抵のことはそつなくこなす。諜報員であるということは、そういうことだ。少ない情報からも意図を汲めるが、致命的なリスクは冒さない。まかせたことはうまくやるし、余計なことをしない。やたらに細かく命じさせて、手間をとらせるようなこともないし、能力的に見合わないことを、無理して請け負うこともない。
チェ・グソンがどのような感情を抱いているにせよ、自分の為すべき事とは、切り分けて考えられる頭脳はある男だ。だから出会った当初から続く、彼の野生動物じみた警戒心が、肉体的な接触をともなうにつれて薄れはじめ、こうしてみずから触れてくるようになっても、あえて釘を刺そうとは思わなかった。
「ちょっと待ってくださいね」
グソンは使用感のあるベッドを手早くメイキングし、その上にバスタオルを敷いた。
「うつ伏せになってください」
槙島は、相変わらず仮眠用といったようなベッドに横たわった。マットレスは硬めで反発が強い。身だしなみに気を遣っている男だけに、頭を乗せた枕からは、整髪剤とコロンの人工的な香りがした。オリエンタルなスパイシーノートに奥深いムスク。嗅ぎなれた匂いの中に、洗剤香料の名残りがするところから、清潔さが保たれていることがわかる。想起されるのはプルーストの言うところの意志的記憶だ。このベッドで行われた出来事は、失われるには早すぎる。頬をあずける枕でさえ覚えていることだろう。
あの時のようにスプリングがきしんで、上背のある男が乗り上がってくる。高反発のマットレスが足元でたえきれずに沈みこみ、上衣の裾がめくられて、槙島の腰が露出する。
「どうせまだ《《これ》》は使えませんからね。ちゃんと慣らしましょうか。無理やり突っ込んだってお互い、痛い思いをするだけだ。強姦まがいなプレイは趣味じゃないんでね……触りますよ」
人肌よりも熱い、ぬるりとした感触が尻の狭間を割った。それはグソンの舌だった。窄まりのしわを尖った舌先になぞられ、むずむずとしたこそばゆさに、槙島は思わず括約筋に力をこめた。ぎゅっと寄った尻肉はしかし両手にかきわけられ、敏感な神経が執拗に舐られる。
「っは……ぁ」
「くすぐったいですかい?」
「ああ……少し。我慢できないほどじゃない。ところで、わざわざ舐める必要があるのかい?」
「ええ。こっちのほうがね、やわらかくなるんですよ」
窄まりの中心に舌をぐりぐりとねじこまれ、槙島は堪えるように息を止めた。ナカに残留していたローションが、とろっと漏れ出す感覚に身震いする。
「愛液みたいですねぇ」
ずいぶんと愉しそうな声音だ。振り向かずともわかる、にやにやとした笑みを浮かべているのだろう。粘液が舌の腹でねっとりと舐めとられる。シーツと身体の間にはさまれた陰茎が、あのときのように充血しはじめた。
性的な行為をするとき、グソンはわざと下卑た物言いをしたがるが、槙島はそれを屈辱的だとは思わなかった。食事に作法があるのと同じだ。気分を高めるためのスパイスは、実際に槙島をその気にさせた。プラセボ効果がばかにできないように、思い込みはときに現実をこえる。
しばらく唾液の音と息づかいだけが響いた。槙島は枕に顔をうずめたまま黙って堪えていた。グソンの舌は括約筋を解きほぐし、だんだんと奥に侵入するようになっていた。くぷ、くぷ、と舌先が出し入れされている。大胆にも窄まりに口付けるように吸われることもあった。尻肉は揉みしだかれ、撫でられて、そうしているうちに、筋肉の緊張そのものがすっかりほぐされていた。
「そろそろ指をいれますよ」
ローションをたっぷり絡めた指が、ぬるっと滑らかに槙島の腸内にもぐりこんだ。舌では届かない奥地がまげられた関節に押し広げられる。
「……これには、どのくらい時間がかかるのかな」
「さあ、どうでしょうね。人の身体も、感じ方も、それぞれ違いますから……でも今は三本入ってますよ」
「……驚いたな」
槙島は感嘆の息を吐いた。自分でやっていたときの、粘膜の引き裂けそうな抵抗がない。体内に異物が存在する圧迫感と、抜かれるときの排泄感は避けようがないとしても、苦痛といえるものは何もなかった。
「どうやらはじめから、君にまかせておくべきだったようだ……これは僕の怠慢だった」
「怠慢?」
怪訝そうな声をあげたグソンに、槙島は思考の解説をはじめた。
「結果さえあればいいのだろうと……ン……、思ったんだ。僕は、どうも性的興奮というものを感じにくい……君の僕に抱く情欲も、支配欲かなにかのように……取り違えてしまったのかもしれないね。だが君は……そうだな、例えるなら……恋人同士が愛し合うようなセックスを求めているようだ」
「……そんなこと、求めちゃいませんよ。セックスなんて気持ちよくなってなんぼってだけです、それ以上もそれ以下もない。旦那だってそう思ってるんじゃないですか。気分を盛り上げるための演出……お得意でしょう? 愛し合う? はは……似合いませんねえ、お互いに」
「君にはわからないのか? チェ・グソン……僕は人間が好きだ……決して無関心じゃない。君に対しても……」
伏せていた顔を振り返る。グソンは瞬時に表情を切り替えていたが、その困惑と期待を槙島は見逃さなかった。
槙島が窮屈なベッドの上でスペースをゆずると、背後から抱かれて後ろ首にキスが降った。どこか吸血鬼を彷彿とさせる。月明かりさながらのブルー・ライト、暗色のシーツ、頑ななスプリングは、闇に生きる者の鉄の棺だ。股をひろげて足をからめると、あつい血の楔が焼きごてのように腰に押し付けられ、より深くに飢えた牙を突き立てられる。
「締めすぎですよ……食いちぎられそうだ」
戯れ言の拍子に歯が触れる。ぞくぞくと鳥肌が立った。二つの急所を明けわたしている事実、戦慄と興奮は同義で、興奮は快楽と区別がつかない。
「せっかくなら、君を味わいたい……」
閉じ込められた欲望をなでるように腰を動かすと、グソンはいらだったように槙島を押しつぶした。
荒々しい三本指のピストンと、食らいつくような口付けに応える。垂れさがった前髪が舌にまとわりつくのも構わずに、むさぼり合った。
赤い義眼は瞬きを必要とせず、メカニカルなデザインの光彩が代わりに瞬いている。コンマ一秒の積み重なりの分だけ、グソンはより多くの情報を得ているといえたが、槙島の瞳はメタクリル樹脂よりも時計じかけに出来ていた。
——僕が何を考えているのか、君にはわからないのだろうね。僕には、君が何を考えているのかよく見える。君のそのちっぽけでありきたりで、人間らしい欲望が……僕には好ましい。
キスの終わりの合図のように、唇を吸い合って離れる。顎下まで垂れた唾液が、グソンの舌によってねっとりと舐めとられた。
「……ったく……とてもはじめてとは思えませんねぇ」
「っ……は……なら、もういいんじゃないかな」
グソンはつり目をさらに細めて、聞き分けのない恋人をなだめすかすような態度で、槙島のこめかみへ口づけた。
「今日はどのみち駄目だと言ったでしょう」
「激しく、とやらをしなければいい」
「そんなに欲しいんですかい?」
かち、とベルトを緩める音を聞きつけて、槙島は手を伸ばした。熱く渇いた脈動が手のひらに伝わった。
「これは……すごいな」
思わず笑う槙島に、グソンはため息をついた。
「笑い事じゃありませんよ、どうしてくれるんですか、もう……」
「試してみればいいだろ」
「食いちぎるおつもりで?」
槙島はグソンのやんわりとした拒絶を無視し、彼の反りかえったパーツを握りしめた。強ばった筋肉のように硬く、握りごたえのある太さだった。熱っぽい吐息まじりに「あんまり乱暴にしないでくださいよ……」とグソンがささやいた。槙島の手にもたらされる快楽に負けたのだ。
先端からあふれだしたぬるい液体が、裏筋をつたって槙島の指にからみついた。陰茎は切断されても体内器官は残っている。尿道球腺から分泌された液体は、人工的なものではなく、まぎれもないチェ・グソン自身の欲望の発露だ。槙島もまったく同じものを垂らしている。興奮しているのか。自分でも意外な心境だった。
亀頭から根本にかけて、根本から亀頭にかけて、手のひらで表面をなでるように粘液を塗り広げる。それだけで亀頭はみるみる張りつめ、やがて雁首が指の輪に引っかかるようになる。
「感度は良好のようだ」
槙島はからかいながら、手首をひねるようにして亀頭をこねまわした。「くっ」とグソンが息を詰まらせ、鼻先を槙島の後頭部に擦りつけた。体内をまさぐる指はすっかり動きを止めていた。
「旦那に扱かれてると思うと、たまらないんですよ……」
「たった、これだけで? 挿れたらどうなるのかな」
そり返ったペニスを人質に握り、濡れそぼった亀頭をはらわたを暴く位置へ誘導する。腰を引くことのできないグソンは、槙島にあやつられる他はなかった。
「引っ張るのはよしてくださいって」とがめる口調とは裏腹に指が引き抜かれ、槙島のうなじを唇がなぞった。指とは比べものにならない質量が、ぴっとりとあてがわれる。
「……試すだけですよ」
「あ、あ……っ」
愉悦の笑みはゆがみ、返事はうめき声に変わった。
先端はえぐりこんでいる。だがもっとも太い雁首に差しかかる前に、槙島のからだは雄を力いっぱい拒絶した。
槙島は「チェ、グソン」と呼びかけながら続きを催促したが、グソンは「ほら、入らないでしょう」と言い聞かせるような声音をかけて、槙島が強情に浮かせた腰をシーツに沈めなおした。痛みにはたえられる。槙島が試したかったのは、受け入れられるかどうかではなく、グソンの欲望のかたちそのものだった。
「わかりました?」
念を押すように問われて槙島がうなずくと、食いこんでいた切っ先がはなれ、いつのまにか浅くなっていた息が意識せずに深く吐きだされた。
「こうでもしないと聞き分けがないんですから、もう……」グソンが小言をつぶやきながら、槙島の冷えた腰をさすった。
「ゆっくり進めさせてくれませんか。それが時間の無駄だって思うなら、無理強いはしません。この旦那がつけてくれたものだけでも、報酬としては充分です」
「……いいよ。君のペースに合わせる」
槙島はあおむけに寝返りをうち、グソンの後頭部をつかみよせた。「気持ちよくしてくれるんだろう」ささやきながら唇を舐めると、グソンの手のひらは心得たように槙島の萎えかけたペニスをつかんだ。
「おまかせを」うすく笑った唇は、そう言ってすぐに離れた。
あたたかなものに先端をつつみこまれて、槙島は感嘆の息をもらした。やわらかな陰茎が口蓋と舌のあいだにはさまれて、あじわうように咀嚼された。蛇のように器用な舌先が包皮をめくり、敏感な雁首のかさを裏側からくるくるとなぞる。グソンの咥内で肉幹がぐんと質量を増すと、喉奥にむかえられて、粘膜が肉芯をねっとりと吸い上げた。
「……ァ、……」
自然と、声が出た。
槙島をくわえた口が横長に広がる。
あらためて窄まった唇が、ジュポジュポと露骨な激しさでそそりたつ雄をしゃぶり啜った。快楽を逃そうと無意識に立てられた膝が左右に追いやられ、大きく開ききった股の間を、グソンの指がまたぞろ探りを入れる。
「ぅ、……は、ン……っ」
「イきそうなら、いつでもイっていいんですよ?」
にやついた唇が槙島の根元にチュ、とキスした。槙島がふっと鼻で笑い返すと、唾液をまとった指が襞肉をかきわけた。とたんに怜悧な美貌にうかぶ余裕は融解し、グソンは槙島の陰茎をアイス・キャンディにでも見立てるようにして、とろけだしたものを舐めとった。
ああ——と槙島は熱い吐息にしずみこんだ。これは強引にあばき立てるよりも、よほど欲張りな行為だ。
「四本、入りましたよ」
「はー……っ、んっ……ぁ……」
「……苦しそうですね」
内臓を引き伸ばす圧迫感を忘れさせるように、グソンの片手が、赤くなったペニスをぬちゃぬちゃとしごきたてる。
「まだ、……っは、チェ、グソ……っ、ぁ……っ」
「もうイきそうですか? 出るときは教えてくださいね?」
巧みな愛撫は慣れないからだを圧倒し、内腿の筋肉がひくひく痙攣した。せりあがりだした玉袋を吸われ、睾丸を転がされ、カウパーを垂らした鈴口を舌先でくすぐられる。
「ア、ッ……は……っ」槙島の足指がシーツとバスタオルの境目を掻いた。快楽の頂点がせまる。息があさくなり思考が意味をなさず視線が虚空をさまよう。
「ぁ……あ……っ、く、出る……っ」
「ええ、どうぞ……」
括約筋がぎゅっと収縮し、骨張った指の存在をひときわつよく感じた。
「っ……あ、……っ、は……っ」
先端を咥えたグソンの口の中へ、精管にたまった精液が、何度かにわけてびゅうびゅうと放出される。ごく、と飲みこむ音がして、熱さめやらぬ肉幹を、指の輪が根本からしぼりあげながら、さらに強く吸った。
「グソン……ッ」槙島は身ぶるいして、うすら笑いする顔面を押しのけた。
「……濃いですね。相変わらず、抜いてないんです?」
グソンは唇から垂れたぶんを指でぬぐい、舐めとりながら意地悪く笑った。最後の一滴までしぼりとられたペニスは、快楽の余韻にヒクヒクと痙攣しながら萎んでいった。
「今日のところは終わりにしましょうか」
そう言うグソンのまたぐらでは、人工血管を幾筋もはりめぐらせた陰茎がいきり立ったままだった。敷かれたバスタオルをつかって汚れた肌を拭こうとするグソンに、槙島が脚をからませる。
「どうしたんで、す……ッ⁉︎」
脚を起点に一瞬にして体勢をいれかえる。窮屈なマットレスがぎいぎい悲鳴をあげて反発した。
槙島は組み敷いたグソンの股の間に割りこみ、パンツを下着ごと膝までずりおろすと、かみつくように肉幹に横から吸いついた。唇のうすい粘膜が熱くなった。
「まぁた力ずくですかい……しゃぶりたいならそう言ってくださいよ……」
苦笑いをうかべたグソンが、槙島の前髪を耳にかけた。細目がいつもよりもひらいて、ぎらぎらとした光明を見せていた。雄に愛撫をほどこす顔つきを、じっくり観察されているのを感じ取りながら、槙島はわざとらしく舌を伸ばし、全体を濡らすように舌でなめていった。
興奮した陰茎が、ビク、ビク、とはねかえるように槙島の頬に当たる。あばれる逸物を舌で追う。淫猥に、あけすけに、本能のままに。これはそうあるべき行為だ。
乾いた舌をなんどか口内に戻して湿らせつつ、手で触れるよりもはるかに面積がひろく感じる肉肌を、丹念に濡らしていく。
「……でかいな」思ったことをそのまま呟くと、グソンはハハッと開き直ったような笑い声を上げた。
「だから言ったでしょう。何を思ってここまでデカくしちまったんです?」
「君に相応しいものを用意した、それだけだよ」
「ほんとですかぁ?」
グソンの茶化すような笑いの奥には、興奮がひそんでいた。
「説明するかい? ペニスの大きさは、自尊心に影響を……」
「おっと、それ以上は結構ですよ。セックスに小難しい理論は必要ないんでね」
「それもそうだな」槙島の返答に、グソンは口をぽかんとあけた。槙島は意味深に微笑して言葉をつなげた。
「小さいよりは、《《でかい》》ほうがいい」
銀髪をかきわけていたグソンの指が、ぴくっと反射を起こした。
槙島はグソンにされたことを真似るように、根本まで唇をすべらせ、吸い付くように口づけた。かすかに消毒液の匂いが残っている。血管が脈打った。
チェ・グソンは表情にこそあまり表さないが、思考パターンは読みやすい。論理性はいかにも技術屋らしいが、感受性は普通の人間だ。そこが好ましい。不確定さがないゆえに人間的な面白みはないが、信頼できるし不快にもならない。シンプルな欲望には応えてやりたくなる。
「冗談でも、いいですね……それ」
「本気で言ってるんだけどな」
「……まだ、わからないでしょう」
グソンの慎重な理性が、疑心という歯止めをかけている。実のところは、槙島自身よくわからなかった。行為そのものには興味がなかったはずだった。けれど肉体は興奮し、精神は高揚していた。
今は考えるべきときではない。槙島は思考を保留して目を伏せた。
陰茎の接合部は肉眼でみるかぎり滑らかで、継ぎ目のひとつも見当たらない。生々しいケロイドは人工細胞で埋めつくされ、生えかけの毛根が舌にざらつきを与えた。その下には成形された睾丸がぶらさがっている。
興奮にせりあがっている玉の皺を舌先でなぞり、全体を口にふくむように舐め転がしていると、槙島の鼻筋に、欲の蜜が垂れ落ちた。
「堕落は快楽の薬味。堕落がなければ快楽も瑞々しさを失ってしまう——」
マルキ・ド・サドを引用しながら、粘液の道筋を舐めとっていく。
「——そもそも限度を超さない快楽など、快楽のうちに入るだろうか?」
先端にたどり着く頃には、鼻先についた淫液が口元まで垂れていた。槙島は見せつけるように舌なめずりをして、瞬きのない凝視の前で口を大きく開いた。
「……っ、加減はしてくださいよ……」
グソンの充足しきった表情に、槙島は笑みを返そうとしたが、頬張った亀頭の質量にまけて、わずかに口角がゆがむ程度に終わった。これは容易には入らないわけだ。にじみだす塩からい液体を吸いながら、槙島は納得した。
みずから設計したものではあるが、あまり厳密に考えたわけではない。カタログのようなサイズの見本があって、その中から一番大きなものを選んだにすぎない。とはいえ普段からあまり大きいとそれはそれで不便だと、膨張率が高くなるように調整し、ついでに割礼済みのほうがそれらしいかと見た目を整えた。グソンも口では色々言っているが、出来には満足しているはずだ。
並はずれた逸物はひっきりなしに脈打ち、槙島の顎をこじあけようとする。上目に様子をうかがいながら、深く咥えこめば、喉仏の動きさえ目にとれた。
「旦那、……少し、動いても?」
欲情した声がふりかかる。槙島が答えを保留したまま舐めしゃぶっていると、気を逸らせた手のひらが槙島の頬をなでたり、髪先を指に絡めたり、落ち着かなげにさまよった。もどかしいのだろう。ヒトの欲望を炙り出すのはいつだって面白い。
槙島はグソンの嘆願を無視して、慣れない愛撫を繰り返した。彼の手並みを真似ようとしても、そう上手くはいかない。そもそも歯を当てないようにするだけで精一杯だったし、気をつけていても掠めてしまう。体積が違いすぎるのだ。ただ、結果的に加減しろという注文には応じている。
「……旦那」二度目の懇願。これも槙島は無視した。ゆっくりと咥内に出し入れをつづけながら、膨れあがる欲望の行き先をうかがう。
「……裏筋に舌当ててください」
なるほど、注文を重ねるのか——槙島はグソンの言う通りにした。頭が上下するたびに自然と舌が裏筋を刺激する。あらたな快感にグソンの息づかいが荒くなる。
「もっと深く咥えられます……?」
遠慮がちな問いかけから、一拍おいて肉棒をのみこむ。気道が塞がるくらい咥えても、せいぜい全長の半分がおさまる程度だった。
「そのまま、さっきの続けてください。口をすぼめて……歯が多少当たるのは気にせず……そう、いいですよ……」
槙島は目を伏せながら、一見従順に愛撫をほどこした。単純作業は苦手だ。言われるがままでいることも。
顎のきしむような痛みにたえながら、ゆっくりとした動きを早めていく。当てるだけだった舌を左右に動かし、物理的な限界まで頭を落としきる。
「っぅ……ゲホッ……」催吐反射がこみあげた。せっかく再生したばかりの部位を傷つけまいと、槙島は口をあけたまま咳きこんだ。すかさず「大丈夫ですか」と逸物を吐き出させようするグソンを、槙島はひと睨みではねのけ、咥えきれない根本をひっつかみ、口淫を継続した。
徐々に勝手がわかってきたところだ。吸いながら唇でしごけば、自然と卑猥な——ジュポジュポという音が鳴る。口だけでは足りないところは、唾液のぬめりを借りながら手で擦りあげる。
射精にいたるには、基本的に物理的な刺激がどうしても必要だ。それには唇や舌よりも、手指のほうが向いている。口唇による愛撫で気分を高めさせ、手を使って追いつめる。
「旦那……そろそろ……」
グソンのうわずった声で限界が近いことを知ると、槙島は愛撫の手をいっそう早めた。雁首がさらに太さを増して歯の裏がひっかかる。
ここで手を緩めると射精感が遠ざかってしまう。槙島は、自律反射が起きるぎりぎりまで咥えこみ、喉で締めつけながら小刻みに頭を上下させた。
「それやべえっ……出ちまう……っ」
グソンがとっさに腰を引いた拍子に雁首が歯にひっかかり、それがとどめの刺激になった。
うめき声とともに、ビュッ! と噴射された精漿が舌に打ち当たり、亀頭が引き抜けた二発目は、放射線を描いて槙島の眉間を直撃した。
「っ……あ……ちょ、っ……止まんねえ……っ」
三発目以降は、グソンが先端を手のひらで押さえ込んだ。身体をくの字にしたグソンが全身をビクつかせるたび、手の隙間からぼたぼたと多量の白濁液が垂れた。さながら白い滝のようだった。十数年にも及ぶ、久しい射精の快感はすさまじいものであるはずだ。身悶えるグソンを観察しながら、槙島は舌に放たれたものをのみこんだ。青臭いにおいは前立腺液に含まれるスペルミンだ。次に額から垂れてきたぶんを舐めとる。味がうすくなった。今度は、いまだ身を震わせて残滓を吐き出している股座に顔をうずめる。
「だ、んな……っ」
肉竿を垂れる人工精液は、ほとんど匂いも味もなくほのかに甘かった。手のひらを退けて亀頭を吸うと、グソンの腰が軽く跳ねた。堪えがたいくすぐったさがあるはずだが、いたずらに舐めても、口蓋に擦りつけても、太ももがビクついたり、眉間にしわこそ寄るものの、押しのけられることはなかった。人工細胞ゆえに鈍いのだろうか?
グソンの汚れていないほうの掌が、愛おしむような仕草で槙島の頭を撫でた。
性器を口から解放したときには、すでに根本まで口に含めるほど小さくなって、くったりと萎えていた。
「……気持ちよかったかい?」
槙島が顔をあげると、グソンは興奮した息づかいを落ち着かせるように、深く息を吐いた。
「腰が抜けちまいましたよ、はあ……何なんですか、これ」
「人工精液だよ。といっても種は含まれてないが……それも必要だったかな?」
「いえまったく……しかし、なんでまたそんなものを……」
「形だけ再現してもつまらないだろう? 君は精巣を失っただけだから、もとより射精自体は可能だが、せっかくなら、より強い快感を得られるほうがいいかと思ってね」
「それにしたって出すぎでしょう。バーチャルじゃないんですから、もう……タオル敷いといて良かったですよ」
グソンはタオルの汚れていない部分で槙島の顔をぬぐい、次に自分の股をふきながら、ふと思い出したように顔を上げた。
「……そういえば夕食はどうします?」
射精したことで冷静になったのか、グソンの欲望はなりをひそめ、日常の空気を取り戻していた。あるいは敢えてそう努めようとしたのかもしれない。
「もう済ませたよ。やはりハイパーオーツは味気ない」
「夜食でも作りましょうか?」
「そうだな……君も腹が減ってるだろうし、頼もうか」
「じゃ、シャワー先に浴びてください。ローション流すの時間かかりますよ」
「そうさせてもらうよ」
グソンの言うとおり、体内に残ったローションをかきだすのには少し手間取ったが、後孔は自分で慣らしていたときの抵抗がうそのように柔らかくなっていて、苦痛はなかった。
槙島は、唾液や精でべたついた顔を流したり、ローションを落としたりする間、自身の心境の変化について、あらためて考えた。
欲張りな男だと、最初に思った。欲望は大きければ大きいほど、選択することができずにがんじがらめになる。命惜しい者ほど臆病になるのと同じことだ。グソンは求めるものが多すぎた。その一部を肩代わりしてやるかわり、他愛ない遊戯に協力させていたが、彼は、予想以上のはたらきをした。槙島の期待を上回るほどに。
グソンがいることで、なし得ることの幅は大きく広がった。彼の力を借りれば、シビュラシステムを……この国を根本から破壊することさえ可能だろう。サイマスティックスキャンを誤魔化す方法があると聞いたとき、槙島はそう確信した。
だが彼は、それを肯定するだろうか? いま協力しているのは、本人にリスクが少ないからだとも言える。シビュラの鼻を明かすという野心も、その破壊までは包括していない。
「んっ……」
シャワーを直接当てて水圧を中に注ぎこむ。すでに行ったことのある作業だ。アナルセックスは準備が手間ではあるものの、思ったよりも忌避感はない。相手がチェ・グソンだからなのかどうかは、彼以外を知らない身では判断ができなかった。
「旦那、夜食できましたよ」
「ああ……チェ・グソン」
「はい?」
槙島は浴室のドアを開けた。上衣を脱いだところのグソンと目が合う。槙島はその肩にぐったりと額を押し当てた。
「……どうしました?」
「さあ……少し、疲れたのかな」
「珍しいですね……いや、初めてなら無理もない。ここに座って待っていてください、あとは俺がやりますから……」
戸惑いまじりな声だった。それでいながら、気遣うように背中をなでられ、まっさらなバスタオルが肩にかけられる。槙島は彼の言うとおりに、その場に座りこんだ。
浴室の慌ただしい反響を聞きながら、思考に耽る。
チェ・グソンに、ある種の情を抱かれていることはわかっている。それを利用することにも、今までためらうことはなかったし、同じように利用してきた人間はいくらでもいた。だが選択権はつねに与えてきた。自由意志によらない行動の、どこに価値がある?
しかし実際にはどうだ。グソンは槙島がいなければ、いずれシビュラの眼に見つかるだろう。生き延びるためには、彼の能力だけでは限界がある。果たしてストックホルム症候群のように、心理的防衛本能がはたらいていないと言えるだろうか。
槙島の計画において、彼は重要なキー・パーソンだ。欠けてはならないパーツであり——有能な道具のはずだった。
「お待たせしました、……旦那?」
ざっと汚れを洗いながされた身体を見上げる。欠損が修繕された肉体は、紅い義眼と同様に、もとからそこにあったかのように馴染んでいる。
「明日もやろう」
槙島は目を伏せた。無理はしないでくださいね、と気遣わしげな声が耳をとおり抜けた。
《《前処理》》を済ませた槙島が、グソンのベッドに仰向けに横たわっている。この光景にはいつまで経っても慣れそうになかった。無駄のない肢体はつま先まで彫刻のようだ。古代ギリシャ美術とは違い、だらんと垂れた性器は控えめではなかったが、まっすくで肌とおなじ白い色、バランスのとれた見た目をしていた。もっとも、これがひとたび勃起すると、清廉な雰囲気はどこへやら、獰猛な血色をおびて猛々しく反り返るのだが。
グソンは槙島のからだから目を逸らし、紙袋から必要なものを取り出した。
「それ……ディルドかい?」
槙島の口から出た生々しい単語に、グソンの手がぎくっとしたように固まった。特にやましいことはないのだが、いつもプラトンやらマキャベリやらを引用する口から、とつぜん俗な言葉が飛び出してくるのにぎょっとするのも、致し方ないことだろう。
「そうですよ。拡張用に細いものから取り揃えました」
驚愕は胸に秘めて、グソンは何事もなかったかのように、紙袋の中から男性器を模した張型をひとつ取り出した。
これは一番細いものだ。やわらかめに作られていて、内部を傷つけにくいものを五本、サイズ違いで用意している。今どきはこんな玩具で遊ぶ人間もあまりおらず、ちょうどいいものをすぐに見つけるのは難しい。おかげで太さがいまいち物足りないものになってしまったが、それは、槙島の用意した《《本番用》》が規格外すぎたせいもある。
「想像以上に時間がかかりそうだ」
「やっぱり、やめておきますか?」
「いまさらだな」
「……気が変わったら、いつでも言ってくださいね」
槙島はグソンに背中をむけるように寝返りをうった。グソンは上衣を脱いでから、「失礼しますよ」と空いたスペースに身をすべりこませた。三度目ともなると、手狭なベッドにも、自分のベッドなのになぜ断りをいれているのか、そういうことは考えてはならないのも学習した頃合いだった。
槙島の背中によりそうように肌をあわせながら、温めたローションを纏った手を、引き締まった臀部に伸ばす。窄んだ穴に触れると、ひくっと収縮が指の腹につたわった。期待されているようで、錯覚だと言い聞かせてもたまらない気持ちになる。刺激に慣らすように、ゆっくりと撫でてやると、グソンの指を食いたがるように、収縮は何度も起きた。
「いれますよ……」
槙島が深いため息を吐いた。グソンは弛緩した隙をみはからって指を入れた。括約筋がきゅうきゅうと食んでくる。生理的な反応だろうと気を落ち着かせる。槙島の身体はまだ、こちらでの快感に目覚めていない。
潤滑剤をひだに塗り込むようにして何度か出し入れして、二本、三本と指を増やしていく。槙島の息が浅くなる。
「苦しいですか」緊張をほぐすように首や肩にキスを落とす。
「いや。君は、こういうことも器用にこなすんだな」槙島から不意にかけられた称賛に、グソンは面食らった。
「まあ、そういう訓練も受けましたからね。しかしそれを言うなら、旦那のほうが、ですよ」
「君のそれも《《初めて》》だったからだろ?」
「……初体験のやり直しですか、そりゃあいい」
グソンは指を引き抜き、追加のローションを手のひらに絞り出すと、シリコン製のほそい陰茎にまんべんなく塗りつけた。亀頭部をぬるぬる押しつけて、窄まり全体を濡らしてから「ディルド、いれますね」と予告する。
「ああ……」とうなずいた槙島の身に人工物がゆっくりと埋め込まれていく。素材が違うだけで、自分のモノも同じようなものかとグソンは思った。
ディルドは、指で慣らしたところまでは、さほど抵抗なくのみこまれていったが、そこを超えると、槙島の息が不規則になった。
「問題ないよ」グソンが気遣う前に槙島がふりむいた。その瞳はいつものように凪いでいて、唇が誘うように開いていた。吸い寄せられる。甘い吐息のかかる距離では、あらがえない。
「ン……んんっ……」
槙島のくぐもった声をのみこみ、口付けながらゆるやかに出し入れする。偽物の律動にあわせて腰がうごいた。これも擬似セックスのうちだろうか。だがパンツの中で圧迫された海綿体は解放を訴えるばかりで、幻肢のようにはいかなかった。その身の匿名性は失われていた。グソンの頭を占めるのは、今すぐこれをぶちこみてぇ、という即物的な欲望ばかりだった。
槙島の後ろ手がグソンの股ぐらを探り、枷となっているボタンを外そうとして、パンパンに膨れあがった人工細胞を時折、かり、かり、と布地越しにひっかく。じんとした快感が突き抜ける。それが心地よくて、槙島の指がボタンに引っかかりそうになるたびに、わざと腰をずらした。
「……チェ、グソン」
「どうしました?」
「下、ローション、つくだろ……」
「脱いだら入れたくなっちまうんで」
グソンは、にやついた口元を白いうなじに隠しながら、身を傾けようとする槙島を、壁際に追いつめ、挟みこんだ。槙島は自由を奪われることに抵抗をしめす。精神的な主導権を握りたがるのか、自分が自由である上で、好きにさせるという状況が好きなようだった。だがグソンは槙島に触れるうち、むしろ彼の思いどおりにいかないときほど、身体の反応がよくなることに気がついていた。
「ここ、何か感じます……?」
ぬちぬちと出し入れをくりかえしていたディルドをほとんど引き抜き、浅いところで腹側を圧迫するように刺激する。性器の裏側あたりに位置するそこには、前立腺がある。
「っ……は、ン……」
「ムズムズするような、こみあげてくる感じの違和感とか……どうです?」
「ん……なんとなく、かな……」
「では、そこに意識を集中させてください」
グソンが根本のスイッチを操作すると、ブブブブ……と微弱な振動が発生した。槙島は「ァ、」と小さな声を漏らしたものの「それ、電動だったのかい」「ええ。色々と便利なもので」と会話もできるほどで、しばらくは目立った反応を見せなかった。
震えるディルドを押し当て続けているうちに、槙島の息が不規則に、途切れ途切れになりはじめ、むず痒そうに身じろいだ。
「はっ……はぁっ、はっ……」
「できるだけ動かないでください、位置がずれちまいますから」
「ぁ、……は、ぁ……っ、これ、は」
「前立腺ですよ。よくなってきました?」
「っ……ぁ、ァァっ……ッ」
「振動……上げますね」
「アッ、ぁあっ、ぁぁぁっ」
ヴーンとバイブレーションが高まると、槙島はたまらず身悶えた。慣れない身をあまり責め立てるのも酷かと、グソンはなだめるように《《ポイント》》をはずしてピストンしてやった。激しい振動は開発されはじめた前立腺を遠くから刺激する。その証拠に抜き差し程度ではさしたる反応をみせなかった槙島が、グソンの手つきにあわせて鼻にかかった甘い声をひっきりなしにあげていた。ときおりディルドの亀頭を前立腺に押しつけてやっては、声高くなる嬌声を堪能する。
「こんなに早く感じられるようになるなんて、才能ありますねぇ、旦那……あのときメスイキしたおかげですかね。どっちのほうがいいです? ほらほら」
「ァ、グソン……んっ、アぁぁ……っ」
「……まだイクのは難しそうですね。もうすこし太いのを挿れてみましょうか」
グソンはディルドの振動を止めて槙島のナカから引き抜いた。ひとまわり太いものにローションを塗りつけ、引き攣らないか確認しながら、ゆっくりと深くまで挿入する。その間もぜえぜえと息をつく槙島には、もう抵抗する余力もないように見えた。
「大丈夫ですか」やり過ぎただろうか。とグソンは、槙島に寝返りをうたせて、汗だくの髪をかきあげてやった。熱をはらんだまなざしが、グソンを見上げる。
「はぁ……ああ……続けてくれ」
槙島の手が布地にくっきりと浮かんだ輪郭をなであげた。芯からぞくっと震えるような快感が走る。こっちを挿れたいなら、そうしてもいい。というように白い指先が挑発的に往復する。早く済ませようと急かしているのではない、欲しがった目をして。
そんなものは幻覚か演技だ。グソンはばらばらになりかけた理性をかきあつめて、槙島の手をやさしく引き剥がした。いたずらな指が手をつなぐようにグソンの指に絡みついた。言葉にならない情欲が息を詰まらせる。
「ずいぶん……苦しそうだ」
「なら、しゃぶってくれます?」
グソンが投げやりに腰を突き出すと「いいよ」といった唇が、ひざ立ちの股座によせられた。
赤い舌が布地を這ってぬるついたローションを舐めとる。狭い空間で押しつぶされた人工ペニスが脈打ち、さながら貞操帯に締め付けられたかのような鈍い痛みが走る。槙島はあの夜を再現するように股間にむしゃぶりついた。現実としてそこにある肉塊の存在は無視され、下穿きの合わせ目に吸いついている。根本ばかり舐められている、ということだ。横に流れるようにおさめられた肉幹がドクドクと血走って、血管さえ布地に浮き上がりそうだった。
グソンは観念して、自らベルトに手をかけた。ブルンと勢いよく飛び出した陰茎を追って、槙島の舌が裏筋をくすぐる。グソンは槙島の頭をつかんで半ば無理矢理くわえさせた。あたたかい咥内につつまれて、亀頭に痺れるような快感が集中する。勝手に腰が動いて喉をうがったが、槙島は嘔吐くことなく、喉奥まで逸物を受け入れた。
「あぁ……たまんねぇ……」
呼吸ができるようにときどき腰を引きながら、何度も咽喉の締めつけを味わう。
視覚的にも威力は絶大だ。
いつも涼しげな美しい顔が、眉を少し顰めながら、赤黒く勃起した肉棒を咥えこんでいる。ついさっきまでケツを責められてよがっていて、今もディルドをハメたまま、チンポからだらだら我慢汁を垂らしている。
自分がどんな痴態をさらしているのか、わかっているのだろうか? それとも、そんなことは槙島聖護という男にとってたいしたことではないのか。どこまでなら許されるのか、ボーダーラインを探りたくなる。あまりに危険な賭けだ。だがスリルは快楽のスパイスでもあった。
「このまま動いて出しちまっても、いいですか」
ゆるゆると腰を動かしながら問いかけると、槙島から、肯定ともうめきともつかない声があがった。グソンは都合よく解釈して、槙島の頭部を両手でしっかり固定した。
「限界になったら、腿でもなんでも叩いてくださいね……っ」
「ンッ、んっんんっ……!」
喉奥めがけて小刻みにがつがつと突き込む。グソンの太ももに添えられた槙島の手にぐっと力がこもった。苦しみに耐えるようにかたく閉ざされた目、歪んだ表情を見下ろしながら、容赦なく腰を振りたくる。一分経つか経たないかくらいの頃合いで、射精感はすぐにこみあげた。生殖器
が新しくなって《《早く》》なったのか、それともこの美しく崇高な男を凌辱していることに常ならぬ興奮を覚えているからか。彼はどのくらい息を止めていられるのか、どこまで耐えるつもりなのか。取り留めのない思考が浮かんでは消えていく。
「っ……あ……出そうです……」
喉奥にぴったりとハメたまま軟口蓋にぐりぐりと押し付ける。槙島の瞳が見開かれかれ、からだが断続的にヒクヒクと痙攣した。喉粘膜がひっきりなしに嚥下と催吐反射を交互に繰りかえす。人工陰嚢がせりあがり、欲望のダムが決壊を待つ。
全神経を集中させても、もはや流れをせき止めることはできない。歯を食いしばり、震えながら、ぎりぎりまで粘りに粘って——。
「出、ます……っ」
グソンは槙島の頭部を抱え込むようにして身体をおりまげた。
快感が破裂する。尿道を、ビューッ、ビューッ、と濁流がほとばしるたび、グソンはうなるような声をあげた。全身の肌が粟立つようなビリビリとした衝撃に筋肉が硬直する。動けない。種をつけきるまでは何が何でも離すまいというように、生殖本能が肉体のコントロールを奪ってしまったかのようだった。およそヒトの量ではない精漿と人工精液が、飲みこみきれなかった槙島の口からあふれて、ごぼごぼと滴っていく。グソンにしがみついていた手がだらんと力を失った。
「はっ……ぁ……っ、すみ、ません……っ」
体の制御をとり戻したグソンはすぐさま腰を引いた。
未だドクドクと白濁を垂れ流している逸物が引っかかりながら抜け落ち、支えを失った槙島の頭部がぐらっと天をあおいだ。濁った金の瞳がうつろにグソンを映す。
グソンは、倒れこみかけた槙島の胸部をささえ、背中を強く叩いた。
「がはっ……げほっ……」
槙島は激しくせきこみながら、気管に入り込んだ液体をはきだした。人工精液にはそれほど粘性がないのが幸いだった。
「旦那、……その、大丈夫ですか」
グソンは槙島の背中をさすりながら、窒息していた槙島以上に狼狽し青ざめた。合図に気づかなかったか、いやそもそもこんな無体を働いたこと自体が——。
「は、ぁ……気にする必要は、ないよ。そもそも僕は君を止めていない……」
「は……?」
絶句するグソンに、槙島はすがすがしく笑いかけてベッドに倒れ込んだ。腹筋にこびりついた精液を指先でぬるぬるともてあそぶ。
「……興味があったんだ。ハイポクシフィリア。窒息によって快楽を得る性的倒錯の一種。低酸素状態に陥ったとき、脳の快楽物質と結びつき、はげしい興奮を引き起こす……自分でやるには、どうしたって手加減してしまうか、あるいは……やりすぎてしまうからね」
細められたまなざしは、余韻にひたるような恍惚をうかべていた。恐怖のひとかけらもない底冷えするような瞳に、グソンはぞっとした。
「下手こいて死んじまったら、どうするんですか」
「そうはならない。君なら心肺蘇生くらいできるだろ」
「……そういう話じゃないでしょう」
「では、どういう話なのかね。君が僕を殺すかもしれないと?」
「そんなこと、……ありえねえのは旦那が一番よくご存知のはずだ」
グソンは自分が必死になっていることに気がつき、ばつが悪くなった。槙島のやることに口出しするのは賢明な判断とはいえない。それが感情的な理由であるならなおさらだ。
「君だって興奮したんだろう?」
「それは……」
興奮していないとはいえない。だいたい最初にはじめたのは自分だったのだから。
「僕はね、あのまま君に殺されたとしても、それはそれで構わなかった」
槙島は気分を害した様子もなく、ただグソンの反応をいたずらに揺さぶった。胸の裡にちいさな高揚の熱をともされて、グソンはうろたえた。
槙島は決してみずからの命を軽んじているわけではないはずだ。しかしときおり、心臓の脈打ちよりも優先されることがある。快楽のない人生は、彼にとって、死んでいるのと同じことなのだ。
「……旦那には、生きていてもらわなくちゃ困ります。飯の種がなくなっちまいますからね」
グソンは取り繕うように言った。見せかけだけでもそうしておくのは大事なことだった。なにもかもが見抜かれているのだとしても、打ち明けたり、表に出してはならない。そんな関係ではないからだ。自分の求められている役割を、はき違えてはいけない。
「だいたい、俺には旦那を殺す動機も、度胸もありゃしませんよ。知っていて、好きにさせたんでしょう?」
「君は……無粋なくらい察しが良すぎるな」
「そこがお気に召されてると思ってたんですがね」
「自分の能力を過小評価しないところもだ」
槙島の腕が伸ばされ、グソンの首に甘えるように巻きついた。言葉とは裏腹にすこぶる機嫌が良いようだった。微笑にいざなわれるまま重みにしたがい、顔を近づける。情欲の香りただよう唇が、続きを求めて舌をのぞかせる。
「それで……どうだったんです。好奇心の結果は」
「ああ……すごく、良かったよ」
とろけるような声色に惑わされそうになる。「もう二度としませんよ」グソンは、誘惑の蛇を閉め出すようにぴしゃりと告げた。
「それは残念だ……」
槙島の舌が駄々をこねるように、グソンの頑なな唇を割った。あらがいきれずに吸いつくと、甘い果汁が口内を満たした。
頭をかきむしりたくなる衝動をまぎらわすように、抜け落ちかけた代替品を深く突っ込む。グソンは、アア、とのけぞった槙島の耳元にささやいた。
「そんなことよりもっと、あなたを愉しませてみせますから……」
「ああ……いいね……」
悪魔が存在するとして、その姿はおそらく、天使のかたちを借りている。
「プラトニック・ラブは、何も、性愛をともなわない愛を示すわけじゃない」
数日を経て、四本目のディルドをその身におさめられるようになった槙島は、熱さめやらぬといった掠れた声で、隣に横たわる男に語りかけた。
「……そうなんですか?」
グソンは所在なげに身じろぎした。とはいっても、狭いベッドの上では、どうしようもなかった。二の腕には白い頬が乗っていて、こうしていると、なにかたちの悪い冗談のようだった。恋人のような真似をしてからかっているつもりか、むしろ、そんな感情がひと欠片もないからこそ思慮されていないのか。意識させられているのか、意識していないのか。
できるだけ何も考えないよう天井をながめていると、槙島の指が、無視できない強さでグソンの痩けた頬をなでた。義眼をのぞきこむ金の瞳の奥で、何を考えているのやら、感情をデータのようにスキャンすることができたなら、このように悩むこともなかっただろうに。彼の心のセキュリティは、氷のように他者を拒絶するようでありながら、半透明の領域から蠱惑的に神秘性を見せつける。まるで、暴けるものならそうしてみよ、とけしかけるかのように。
「重要なのはイデアに至るかどうかであり、恋という名の狂気も、それが神
によって授けられたものであるならば、歓迎されるべきものである、という話だ——たとえば、神託を告げる巫女のようにね」
「はあ。どうも、哲学ってやつはよくわかりませんね」
グソンに理解できたのは、それがいつかのパリノーディアであること、神託の巫女がシビュラであることくらいだった。
そんな反応の薄さは気に留められることなく「恋は肉欲から始まるという」とつづいた。槙島の瞳は、君はどうなんだい? と問い詰めているようでもあった。
「まあ、そうかもしれませんね」グソンは曖昧にはぐらかした。
「イデアへと近づくには、肉体の次に魂を愛し、最後には智を愛さなければならない」
「智を愛す……まるで旦那のようですね」
「そんな大層なことをしているわけじゃない。ただの趣味だよ」
槙島は小さなため息を吐いてから、愛についての哲学を繰り返した。
「肉欲に支配されないためには——プラトンは、少年を愛すべきだと考えた。古代ギリシャでは少年愛が暗黙の義務だったが、これは、一種の教育制度のようなものでね。年長者が年少者を口説いて、立派な市民に育てるというわけだ。ときには性行為もともなってね」
槙島は揶揄するように微笑した。グソンは苦笑いを返した。
「……口説いた覚えはないんですがねぇ」
「自覚がないだけさ、エラステス」
「妙な名前で呼ばないでくださいよ。そんなに俺は——」
嗤いながら言いかけてグソンは沈黙した。当然ながら槙島は「なんだい」とうながしてくる。こんなことなら言いきってしまえばよかったと思いながら、いえね、とふたたび胡散臭いと評判の仮面を被る。
「恋、しているように見えます?」
口にすることのあまりの滑稽さに、皮肉な笑みが深まった。いっそ肯定するように頭部を抱きよせ、額にキスをしてみせたら、どんな反応をするだろうか。
そんな思考をそれこそスキャンしたかのような精密さで、槙島の手がグソンの頭部を抱いた。しっとりとした唇が、かわいた唇に重なり、ぬるい息が吹き込まれる。
「その名が何であれ、つまらない神託によるものでなければいいが」
「……少なくとも、シビュラには祝福されないでしょうね」
澄みきったクリアカラーと、濁りきったダークカラーでは、結果はわかりきっている。だがもしも潜在犯でなかったなら、槙島と自分の未来には、どのような予言が下されたのだろうか。
馬鹿馬鹿しいことを考えさせられる。
グソンは、これ以上戯言を聞かされないように、槙島の口を塞いだ。
甘い睦言は一夜の夢だ。あの夜の喜劇も、幕切れをむかえれば、何事もなかったような日常に戻った。少なくとも槙島の態度に変化はなかった。だがここ最近は奇妙な気配にとらわれている。構築された関係に亀裂を入れんとするような、胸のうちを切り開こうとするような、するどい刃先を突きつけられているような気配だ。
「は……チェ・グソン……」
熱のこもった呼びかけが、口づけの隙間からこぼれ落ちる。
槙島の冷えた指の感触が、グソンの胸の中心を、切り裂くようにすべりおちた。皮膚をなぞられた先から裂かれたように熱くなる。
「そろそろ君の……入るんじゃないか」
グソンの下着の膨らみが、槙島に握られて形をむきだしにする。ワン・サイズ大きくするはめになった下着の中で、半勃ちのやわらかい肉幹にはりめぐらされた無数の血管が脈打ちだす。
「なあ……」毒々しいほど甘ったるい声が耳孔を湿らせる。裾からはみでた亀頭に指が直接ふれたところで、グソンはそこまで、というように身を起こした。
「まだあと一本残ってますよ」
もっとも太くながい——とはいってもグソンの部位には及ばないが——最後のディルドを取り、物欲しげな唇に近づける。
「ほら……舐めてください」
「こんなものより、っン……」
グソンは、不満を言いかけた口へ強引にディルドを突っ込んだ。さらに、槙島のナカにいれたまま馴染ませていた、電動ディルドのスイッチを入れる。
「んっ、ん、んぅっ、ぅ」ヴゥゥンと振動がうなりをあげると共に、槙島の喉からもくぐもった声が上がった。
「すっかりケツで感じられるようになりましたねぇ、旦那……さっき出したばかりだってのに、もうチンポおっ勃たせちまって。若いなぁ……あと二発くらいは出せそうですね」
頭部を支えるように持ち上げ、浅めにピストンする。
整いすぎた顔立ちは、苦しげに歪んでいようと、顎を唾液まみれにしていようと、一切の醜悪さを感じさせなかった。まっさらな新雪に足跡をのこすようだ。グソン自身は、暴力的な仕打ちは趣味ではなかったが、欲望をむきだしにするような、低俗的で、獣じみた行為が、槙島好みのセックスのようだった。彼の外見に見合うような、お上品でご丁寧なだけのバニラセックスには、退屈といわんばかりの顔をする。
「普段の旦那を知ってる人が見たら、卒倒しかねませんね」
嗜虐的な台詞にも、よく反応する。
思考が澱みにはまるように、怜悧なまなざしがとろんと脱力し、快楽に溺れていくのだ。
「舌がおざなりになってませんかい? 本物だと思って、ちゃんとしゃぶってくださいよ」
槙島は、フー、フー、と鼻息荒く呼吸しながら、亀頭にむしゃぶりつくように唇をすぼめた。ディルドを出し入れすると、じゅぽっ、じゅぽっ、と下品な音を立てた。カリ首にかきだされあふれた唾液が、顎をつたって首まで濡れ光らせる。
かつての幻肢のように下半身がうずいた。交わりに足る血液を溜めこんだ陰茎が、下着のなかで放出先をもとめる。槙島の目が見透かしたように、義眼と視線をかみあわせながら、より熱烈にディルドへ食らいつく。
幻影ともどかしく重なるような錯覚におそわれて、グソンは槙島の口から己を引き抜いた。
「最後の、いれてみましょうか」
槙島の目の前で、唾液に濡れたディルドの振動を最大にする。ヴヴヴヴッと吼えるように荒れ狂ったバイブレーションは手のひらが痺れるほどだ。いい加減に遊び飽きたらしいオモチャとはいえ、その激しさに、槙島は興味をそそられたようだった。
窮屈なコイルスプリングの上で、たがいの脚をあちこちへやりながら姿勢を組みかえる。槙島の股の間に入ったグソンが、投げ出された脚を彼自身に広げもたせると、この手のことに羞恥心のまるでない槙島は、筋肉の柔軟性を見せつけるかのごとく、しなやかな脚を頭の横にまで伸ばしてみせた。雄々しく勃起したペニスと、異物を咥えこんだアヌスが開けっ広げにさらされる。なじませていたディルドを抜くと、ローションが糸を引いた。ぽっかりと空いた孔は、やわらかそうな色をして、濡れそぼっており、いかにも《《具合の良さそうな》》生殖器に擬態していた。
グソンは唾をのみこんだ。支配衝動を激しく振動するディルドに託し、先端で孔の縁をなぞるように刺激する。
「ぁ、っ、は……っ」
一瞬、すぐに挿れられることを期待したのだろう。先端をのみこむように窄まりがヒクついた。グソンは焦らすように孔のまわりを震わせてから、会陰部へすべらせ、ヴーッとうなりをあげる亀頭を外側から前立腺におしつけた。
「っ——ぁ」膝裏を支える槙島の指に力がこもった。
「蹴らないでくださいよ?」グソンが念を押すと、槙島は意外にもおとなしくうなずいた。はっ、はっ、と短い呼吸を繰りかえしているところをみるに、ドライ・オーガズムの感覚をつかみかけているようだった。絶頂にのぼりつめようと夢中になっている槙島の声が、うわずりはじめたところで、わざと刺激を遠ざけてやる。
「はっ、はぁっ、あ」
「前立腺、ハマっちまいました? 我慢汁垂らしまくりじゃないですか……どっちが感じます?」
「ぁ、あっああっ、あっ」
剥けきった亀頭をバイブでつつくと、振り乱された銀髪から汗が散った。白い肌のいたるところが紅潮している。耳も、頬も、首筋も。汗だくになりながら快感によがっている。
グソンは衝動に突き動かされるまま、槙島の跳ねまわる根本をつかんで、先端に振動をつよく押し当てた。
「ァあっ、あァアアッ!」
容赦のない亀頭責めに槙島が身をよじらせた。脚を支えていた指がはずれる。グソンはとっさに槙島へ覆いかぶさることで、踵が振り下ろされることを回避した。シーツに投げ出されたディルドが、ブンブンやかましく音を立てた。
この、姿勢はまずい。
グソンは目の前の首筋にむしゃぶりついた。肌にのこる甘い香料をかぎながら下着をずりおろす。
ああ、ぶちこみてえ……っ。
腰を動かしてぬるぬる擦りつけると、先端が濡れたうろにひっかかった。少し角度を変えればたやすく入ってしまう。
まだ万全じゃないが、ほとんど準備は整っている。少しだけなら、ゆっくりやればどうだ。旦那の身体はもうできあがっちまってる。前立腺を擦ってやれば、多少きつくても。そうだ。じっくり責めたててやって、メスイキさせまくって、それから、もうチンポの味が忘れられねえくらい、めちゃくちゃに……。
「はぁ、旦那、……槙島さん、」
これ以上はたえられそうになかった。許しを乞うようにシーツへ額を擦りつける。理性はもはや風前の灯火だ。かき消されるのを待っている。
「こんなときまで意気地なしでいる気かい、チェ・グソン……」
グソンの肩にかかったくるぶしが、首のうしろで組まれて逃げ道を奪う。
「君の、好きにしていい……」
ふっ……、と理性をふき消すような吐息が、耳を通り抜けた。それは劣情の火を煽りたて、カッと燃え盛るような熱をもたらした。
噛みつくようにキスをした。だが互いのまなざしほどではなかった。けたたましく振動するディルドを踏みつけ腰の角度を変える。息づかいがひとつになり、止まった。
「ンンッ——」身体が割りひらかれる衝撃によるうめき声と伸びた舌を吸いながら、グソンはぐっと腰を押しすすめる。括約筋が限界までひろがり、むきだしになった神経が、とろけるような肉襞につつみこまれていく。
犯している。この男を。槙島聖護を。
征服感、優越感、支配感、ゾッとするような興奮が身体中をかけめぐり、大脳皮質あるいはCPUが熱暴走した。人工血液が完全に充填された亀頭をゆっくりと前後させながら、
あぁ、ちくしょう、やべぇ……。
言葉ならない声が貪りあう口づけの中にのみこまれていった。
「ん、ん、んっンンッ……!」
前立腺に当たるように浅くゆるやかなピストンを重ねていると、グソンの肩越しに、槙島の脚がピンっと張った。
「っ、旦那、もう、イっちまったんですかい……」
「ぁ……はぁっ、あ、あ……」
槙島の全身が、絶頂のさなかにあることを訴える。ふたりの身にはさまれた陰茎がひくひく弾み、括約筋が種をもとめるように収縮する。
グソンは、精管にたまった放出物を臀部に力をこめて押しとどめ、暴発しそうな逸物を引き抜いた。すぐに出しちまうなんて、もったいねぇ。
せわしなく胸板を膨らませる槙島の、その切なげなまなざしに、どうしようもないものが込み上げる。胸をかきみだされる。なんだってこんな美しいものが存在する? 両手で頭をかき抱き、もう一度キスをした。これはエロースの神託か。ただの生理現象か。わかりきっていることだ。
とっくに、惚れ込んじまってることくらい。
「グソン……」
「わかってますって……」
快楽を極めんとするときの全能感は、薬をキメたときと同じだ。絶え間なく発生するドーパミンが、脳みそをばかにする。槙島も、今だけは同じ狂気を抱えているのだろうか。
離れがたい気持ちを振りきり、グソンは上体を起こした。ふたつに折りたたまれた槙島の身をシーツに伸ばしてやり、踏みつけていたディルドの電源を落とすと、夜の静けさがしんと際立った。
「うつ伏せになってくれますか。そっちのほうがやりやすいんで」
顔が見られなくなるのは惜しいが、より負担のかからない姿勢だ。
槙島はグソンの言うとおりにした。彼が寝返りをうち、まくらを抱えて一息つくあいだに、グソンは腿にひっかかった下着を脱ぎ、ベッド下の紙袋に用済みのディルドを突っ込んで、かわりにスキンの箱と、小瓶を取り出した。
「必要、ないだろ……早く続きをしよう」
「そんなにナマで掘られたいんです?」
箱を奪おうとしてくる手を、グソンは嗤いながら片手でおさえつけた。腰に乗りあがり組み伏せていると、あの夜を思い出す。
「このままヤりたいのは山々なんですがね……すぐイっちまいそうなんで」
連なったままの包装を歯で食いやぶり、片手で液溜まりを潰しながら手早くゴムをおろしていく。もっとも大きなサイズを選んだはずだが、それでも少しきつかった。射精を堪えるにはちょうどいい。
乗り上げた尻のあわいの上から、使いかけのローションボトルを握りつぶし、ぶちゅぶちゅと中身をぶち撒ける。スキンに覆われた陰茎にも纏わせるように前後に擦りつけると、槙島の腰が催促するようにくっと持ち上がった。
「せっかちだなあ、旦那は……今、あげますから」グソンは槙島に上体を被せてうなじを舐めた。槙島の肌が粟立つのが舌腹から感じられた。
「ほら……いれますよ……」
先端を食いこませると、槙島がふかく息を吐いた。自分の教えたとおりに受け入れようとする仕草に、劣情をかきたてられる。グソンは、思いきり腰を打ちつけたくなる衝動を堪えながら、ゆっくりと亀頭を埋め込んでいった。
「ぁ、ああ……」雁首が肉輪を通り抜けようとするあたりで槙島の身体が強ばった。薄皮一枚のせいか、体位を変えたせいか。
グソンは、手の中に握りしめていた小瓶を槙島の鼻に近づけた。中身は大昔に流行ったいわゆるニトライト系のセックス・ドラッグで、当然、廃棄区画外では流通していない禁止薬物だ。
「は、君、そんなものまで用意して、」
すぐにその正体に勘づくのはさすがと言うべきか。グソンは苦笑いしながら、空いている手で槙島の鼻と口を覆った。
「吸ってください、楽になりますんで……」
「んッ……ンンッ……」
必要ないと拒まれることはわかっていた。だがほんのわずかな苦痛も感じさせたくなかった。それは思い遣っているわけではなく、ただ、味をしめさせたいという、無謀でひとりよがりな欲望だ。この槙島聖護という男に、穢れることなき魂に、少しでも自分の存在を刻みつけてやりたかった。
「……ンっ、ンンン……っ」
「大丈夫ですよ、中毒性はありませんから。ちょっと酩酊感があるだけです」
小瓶の蓋をあけて摘んだ鼻を解放する。グソンは抵抗を予想し、全身をつかって押さえこんでいたが、槙島は思ったよりもはるかに従順な態度で、ラブ・ドラッグを吸い込んだ。
「——っ、はっ、はぁっ、ぁは、ぁ、あ……」
とたんに括約筋が弛緩し、陰茎が半ばまでぬるりと入りこむ。
「っ……ふぅ……苦しくないですか……旦那……?」
「ァ……ぁ……っ、ぁ……っ」
べったりと張りついた前髪をかきわけると、槙島はうつろな目で枕によだれを染み込ませていた。
——ああ、トんじまってら。
自分まで嗅いでしまったのかと錯覚するような興奮が、脳から爪先まで駆け抜ける。グソンは、槙島にぴったりと肌を重ね合わせたまま、自然と腰を動かしていた。
「まだまだこれからですよ……ねぇ?」
「あッ……あ、あぁ……あっ、あっ……」
ねっとりとした腰つきで、浅いところをピストンする。
腸内がうねるように蠕動し、出し入れする陰茎に絡みつく。スキンを被せてなかったら、ひとたまりもなかっただろう。それでも激しく動けばすぐに出てしまいそうだった。
「気持ちいいですか。イきそうなときは教えてくださいね」
聞こえているかどうか定かではなかったが、グソンは槙島の耳元にささやいた。それから腰の位置を調整し、しっかりと前立腺にねらいを定め、雁首を擦りつけるように小刻みなピストンをはじめる。
と、まもなく槙島は、ビクッ……ビクッ……と痙攣しながら首をのけぞらせた。
「イっ……あ、ぁあっ、あっ……」
「イきそうになったらって言ったんですけどねぇ……あ、いいんですよ。どうぞ、何度でも好きなだけイっちまってください」
「はっ、はぁ……あっ、あっ、あっ、あっアァ、——っ」
「はは……よっぽど欲しかったんですね、これ」
ディルドではなかなかイかなかったのが、本物を突っ込まれたとたん、このありさまだ。
グソンは、ドライ・オーガズムを繰りかえす槙島をあくまでやさしく責め立てた。喘ぐように息継ぎをする様子を見守りながら、落ち着く頃をみはからって腰を揺すり、また快楽の水底に沈めてやる。
槙島が全身をつっぱらせながら声なき叫びをあげる。グソンの腰使いにあわせて、ぬっちゅぬっちゅと吸いつくような音が、静かな部屋によくひびいた。
「あー……旦那のナカ……最高です……」
括約筋の締まりが強くなると、グソンはもういちど揮発したドラッグを槙島に吸引させた。
「んは、ぁ……っ、は……」
強張っていた全身がくったりと脱力する。
槙島の身の自由は完全にゆだねられ、どう犯すも、嬲るも、思いのままだ。こんなにも無防備な姿を好きにできるのは自分だけだと、そんな優越感が毒のように脳裏をめぐる。
だまされるな。信頼ではない、信用だ。そんな理性の警鐘が、目の前の鮮烈さにとろけて眩暈を引き起こす。
いいんですかい、俺みてえなクズに、こんな好きにさせちまって。ひょっとしたら、本当にやるかもしれませんよ。クスリ漬けにして、気が狂っちまうくらいキメセクしまくって、あなたをモノにしてやりてえ、なんてばからしい話でも、まったく思わないわけじゃあないんでね。それでもいいって言うんですかい、旦那。あのまま殺されても良かった? 試すようなことするのは、本当はそうされたいからだったりします——?
「ぁ、あ、ああっ、あ……っ」
グソンは、妄想をはねのけるように腰を動かした。汗が槙島の白い背に滴った。
これは君主論であって、他者を利用するための演出された人情味にすぎない。
状況に応じて、冷酷な人間に見られるように努力はしている——その言葉の通り、今は冷酷さのかわりに、単なる利害関係をこえた信頼を寄せるふりをしている。操りたい人間に、そのものずばりマキャベリを引用してみせるのさえ、計算のうちだとしても驚きはしない。
「はぁあ……ン、ああ……」
ゆっくりと奥まで腰を突き出すと、半透明のスキンを被った肉幹が、槙島の体内にずぶずぶとのみこまれていく。
「大丈夫ですか。旦那がこんなデザインにしちまうからですよ、ったく……」
尻臀にはばまれて根本までは挿入できないが、それでも相当な深さだ。ディルドでは届かなかったところまで到達していることは間違いない。
引き締まった尻肉に腰をぴったりあてがいながら、円を描くように動かして、自身のかたちを内部になじませる。
すると槙島から、いかにも内臓をつぶされているようなうめき声が上がったので、グソンは腰の動きを止めて、かたい腹の下に手をさしこんだ。
「ん、っ」敏感な亀頭をにぎられて、槙島の身がぴくっと反応する。
「……どろどろですねぇ」
あんなにイキ狂っていたのだから当然だ。とはいえ硬度からして射精はしていないようだった。
苦しさを紛らわせてやるように、我慢汁で濡れそぼった鈴口をぬるぬると撫でると、鼻にかかった声が漏れだした。くすぐったいのか、たまらないのか、槙島の腰が引けたが、背後にはグソンが覆いかぶさり逃げ場はない。
グソンは、拳をにぎりしめて耐える槙島の、その耳の後ろに口付けながら、性器への愛撫をつづけた。
鈴口からあふれた蜜が、指先を押しのけるようにぷくっと膨らめば、糸を引く感触をたのしむように先端をとんとん、と優しく叩いてやり、亀頭をつつみこんだ掌は緩慢なしぐさで雁首を往復する。
「く、……んっ、ふ……ん……グ、ソン……動かないのかい……」
「まだきついですからね、よぉく慣らしませんと」
「ん……っ、ん……」
槙島の腰が揺らめく。腹とシーツのわずかなすきまの中で、グソンの掌にへこへこと性器が擦りつけられる。
堪え性のないところは子供のようだ。目的のために行動せずにはいられない。自分のようにひねくれてしまった性根とは大違いだ。と、グソンはどこかに慈しみのかげを抱いた。その行動の内容によらず、目的があまりにまっすぐで純粋ゆえに、色相が濁らないというのか?
「ぁ、は、ああ……い、い、く、……」
「おっと……こっちでイくのはお預けです」
「っ——……ぁ」
グソンは握っていた手のひらをぱっと開いた。
絶頂間際で刺激をうしなった性器から、カウパー腺液がだらっと手のひらに落ちる。
「意外と律儀ですねぇ、旦那は」
もっとも槙島がいまにも達しそうになっていたことは、亀頭の張りつめ具合や、括約筋の収縮を通じてグソンに伝わっていた。
「かわりに《《こっち》》でイかせてあげますよ。ちゃんと言えたご褒美に……ね」
「あっ、あっ、ああっ……アっ……」
イキ癖でもついたのか、小刻みなピストンをしてまもなく、槙島はシーツを引っ掻きながらあえぎ悶えた。
快楽も過ぎれば拷問となるのはわかっている。グソンは、苦痛にならないぎりぎりを見極めながら、ゆっくり腰を動かして快楽を長引かせてやった。呼吸がつらそうになれば、奥までハメこんだまま、ぴんと立った乳頭をぬるついた指でやさしくなでてやる。
「ぁ……あ、は……んっ……」
「こんなエロい身体して、ヤったことがねえ、なんてありえます?」
射精せずに快楽だけ高められた結果、槙島の神経はどこもかしこも敏感になっている。硬い胸板をもんだり、乳頭のまわりをなぞったり、うなじに吸いついて汗を味わったりするだけで、ひいひい息を上げ、乳首をこねたり、シゴくようにつまんだり、肌にやんわりと歯を立てたりなんかすれば、目を放心させながら甘イキするほどだ。
「それとも、よっぽど《《これ》》がいいんですかねぇ。あなたが設計したものですもんね、旦那……?」
止めていたピストンを再開する。括約筋が少しずつ拡張され、内部にローションがなじんだのも相まって、なめらかに腰を動かせるようになっていた。グソンのストロークは自然と長くなり、種付けに特化した形状の逸物が、やわらかくほぐれた襞を我がもの顔で往復する。
「ぁ……あ……っい、っ……い、……」
「はいはい、イきそうなんですか? それともキモチイイんですか?」
「イっ、て、イっ……あ、あァ……っ」
「ああ……イキっぱなしなんですね。それはそれは……」
「——っ……アっ……はっ……」
心地よい締めつけの前に思考が融解していく。解放をもとめて上がりっぱなしの人工睾丸が、槙島の白い尻にくっついては、ローションの糸を引いた。
はじめから自分のものであったかのようになじんだパーツが本能を訴えている。遺伝子をそそぎこんで、マーキングしてやりたいと。そこに胤はないが、どうせ宿ることのないものなら結果は同じだ。種付けにはそれだけではない意味がある。
この世俗を超越したような男を、クソみてえな欲望で穢してやる。《《オンナ》》にみたてて支配してやった、まぎれもない証明を体内にのこす。
ああ、もう、我慢できねえ。
グソンは、これ以上ないほど膨らみきったペニスを引きずり出した。
ラテックスがはちきれんばかりに伸び、脈打ちにあわせて鈍痛がはしっている。液だまりには我慢汁がたっぷり垂れ下がっていた。びったりと張りついたスキンの根本がなかなか指先に引っかからず、いらだちながらなんとか引き剥がす。
締めつけから解放された陰茎は、その時点でさらに膨らみを増したように見えた。たちの悪いジョーク・グッズじみた生殖器官に、残りのローションをすべてぶちまける勢いで垂らし、まんべんなく塗りつけるように扱く。
「ほら、欲しがってたナマのチンポですよ。わかりますか……?」
グソンは、甘イキからおりられなくなっている槙島の頬をかるく叩いた。白いまつげが瞬いたのをみてから、赤黒い亀頭をぐっとめりこませる。槙島の背中が弓なりにしなった。
「ァ、あぁ、グソン……っ」うわずった声に名前を呼ばれる。まるで感極まるような響きだった。
「きついな……でも、それがいいんですよね。デカいのが欲しかったんでしょう……?」
「は、あっ、あっ……グ、ソン、……っ」
雁首をくぐらせようとするときの、括約筋のひきつりをいたわることも、クスリを吸わせて楽にしてやろうとも思わなかった。味わわせるようにゆっくり腰をつきだし、抜き差しする。むきだしの神経を濡れたひだに逆なでされ、グソンはくっと息を詰めた。全身に鳥肌が立つような快感だった。槙島の白い産毛もおなじように逆立っていた。
「気持ちいいんですか、ねえ、旦那……」
「あ、あ……っ、いい……ッ、君の、んっ……」
「……っ、はー、反則ですよ、ほんと……っ」
グソンはうめきながら、槙島のうなじにむしゃぶりついた。塩からい肌を夢中で舐めしゃぶる。たがいの噴き出した汗が肌をぬめらせ、全身がひとつになった気分だった。
この男からもたらされるあらゆる愉悦にくらべれば、欠落する前のセックスなんて、児戯のようなものだった。混ぜもんなしのクスリをキメるよりもはるかにブッ飛んじまう。
グソンはみずからのせり上がった人工睾丸を、片手で陰茎からはがすようにひっぱった。そうやって射精を抑制しながら、ねっとりとした交わりから一転して、たんたんたんっとかろやかな動作で腰を打ちつける。
「あっあ、あっあっあっ」
ピストンによる横隔膜への刺激にあわせて、一定の間隔で低い声帯がふるえる。槙島はシーツの波を足でかきわけながら、求めるようなしぐさで腰をもたげた。
「奥が、イイんですか?」
グソンはういた腰を押しつぶすようにピストンしてやった。結合がより深まりアアっと鳴き声があがった。しなるように反った背筋が、ビクビクッ……ビクッと断続的な発作を起こし、シーツをくしゃくしゃにかき集めていた手が伸びる。
「逃げないでくださいよ……」
グソンはひざ立ちになって、槙島のくびれた腰を引きずり戻した。
「あっ、あっアッ、ああっァ」
拳をにぎりながら枕に額をこすりつける、槙島の痴態を見下ろしながら、じんじんとうずきだした亀頭をこれでもかとねじこんでやる。腰をがっちりと固定し、動悸する肉棒を突き込み、未踏の奥地へねらいを定めた。
「アっ……グ、ソン、あ、いっ、イ……っ」
頂きにのぼりつめる直前の、せつなげな声にあおられながら、追い立てるように腰使いを荒くする。ローションの乾きかけた糊がべちべちべちべちと皮膚をつっぱらせ、かたいコイルがぎっぎっぎっぎっと鳴きわめく。
「ぁ……っ……く……ぁあ……っ、旦那……っ」
汗が額から幾筋もながれおちた。呼吸が止まる。思考が一瞬トびちって、全身が心臓になったかのようにはげしく脈打った。ビューッ、ビュルルッ、と濃度のある体液が尿道から大量に噴射され、そのすべてが槙島の胎内にそそがれる。
遠くで反響するように甘い嬌声がきこえる。とつぜん意識の膜がやぶれたように、五感がクリアになり、きいんと耳なりがした。肉幹はいまだドクンドクンと鼓動し、精漿をだらだらと送りこんでいて、グソンは無意識のうちに、吐き出したものを奥にすりこむように腰を押しつけていた。
「はぁ、あー……とまん、ねェ……」
前に倒れこんでシーツに手をつきながら、ぐりぐりと腰をうごめかせる。そうしながら「あ……っ、あ……っ……」とひきつけを起こしたような、しゃくりあげるような呼吸をくりかえす、槙島の横顔をのぞきこむ。眉根の寄ったまなざしが、グソンを力なく見上げた。
そんな目で、みないでくださいよ。
一夜限りの夢だってことを、忘れちまう。
自分がばかげたことを口にする前に、唇をふさいだ。激情を忘れるように、荒い呼吸を落ちつかせるように、やさしくおだやかに唇を押しつけあった。
ただセックスをして、それだけで、相手のすべてを支配した気になるのは愚かしい。しかし。
槙島が重たげな動作で腕を首にまわしてきたので、グソンは身をつなげたまま、彼をひっくり返してやった。
槙島のしぼんだ性器が、腹の上でくったりと揺れる。包皮にひそみかけた、赤い亀頭にうかぶ精液を指でこそぎとると、くすぐったさからか、括約筋がぎゅっとグソンに抗議した。
「……シーツに擦れて、出ちまいました?」
鼻先と鼻先のあいだで、指先同士を合わせて離してみせる。白い粘液がいやらしく伸びた。
グソンは、据えたにおいをまとった指をなめた。ここのところ毎日出させているからか、味はうすい。
さんざんイきまくっていたことは身体の反応からわかるが、射精という目に見えるかたちでの結果は格別だ。頭がまっしろになって、他のことはどうでもよくなる、そんな瞬間がこの男にも存在したという事実。いつもどこか冷めていて、退屈そうに渇いたまなざしが、自分とのセックスに夢中になる愉悦。
「君こそ……ずいぶん、出したようだ」
「いけませんでしたかね?」
グソンはほくそ笑んだ。生ハメをねだっておいて中出しはするな、なんてそんなふざけた話はない。
槙島は答えるかわりに、グソンの腰に脚をまきつかせた。
「旦那? まさか、まだ足りないんですかい?」
グソンは揶揄するように言ったが、槙島は「君とおなじだ」と挑戦的に義眼をのぞき返した。槙島の言うとおり、グソンの真新しい分身は、そこだけ若さを取り戻しているかのようだった。
「……これ以上は体にさしさわります」
「このくらい、大したことはないよ」
「旦那はそうでしょうがね、俺はもうそういうトシでもないんで、無理は控えたいところなんですが……」
言いながら、硬度をたもったままの性器を揺すり、腹のなかを攪拌する。「ァ、」と首をそらした槙島が、すがりつくようにグソンの肩をつかんだ。
「そんなにお望みなら、お付き合いしますよ」
グソンは身を伏せた。舌を垂らしてみせたとたんに、槙島の唇が吸いつきにくる。両手両足にしがみつかれているのも相まって、むしろ食われているのは自分かもしれない、と苦笑いした。
「……やられっぱなしは性に合わないんだ」
「おやおや。そんなこと言います?」
出し抜けにかるく突き上げれば、槙島は「んっ」と快感に堪えきれない顔をした。
「……ねぇ旦那、今度はいったいなにを企んでるんですか。教えてくださいよ……こんなセックスより、もっといいお愉しみがあるんでしょう」
槙島の口元が不敵に弧をえがいた。二面性をはらんだまなざしが、グソンを試すように見つめる。
「手伝って、くれるのかい」
「何をいまさら。なんだってやりますよ……俺にできることならね」
「ふうん……なんでもか。どうして君はそこまで、僕を買ってくれるんだろうね……」
「旦那なら、わかってるでしょうに」
問いかえすようにとんとんと中を突いた。槙島が喘ぎながらかぶりを振る。
「あっ……あっ……わから、ないよ」その様子がほんとうに何も知らないこどものようで、グソンは思わず動きを止めた。
「理屈の上では……利害が一致しているし、僕は君のセーフティ・ラインでもある。またもしかすると君は、僕にただならぬ感情を抱いているのかもしれない……しかしそれが君にとって、リスクを負うほどの理由になるとは思えない」
「そんなことを言えるのは旦那くらいですね。あなたのために、いったい何人が道を外したのやら」
グソンが茶化すように言うと、槙島はまるで心外だとでもいうような目をした。
「……それは、彼らの選択だ。でも君は《《そういう柄》》じゃない……そうだろ?」
「まあ……それは、そうですね」
グソンは槙島の耳のうしろの、湿った銀髪を鼻でかきわけた。上昇した体温の熱気をかぐと、清涼な香りにまじって、男らしい蒸れた匂いがした。そんな当たり前のことにグソンは驚いた。知らず知らずのうちにいつも、槙島という存在を、自分とはちがう特別な人間だと思いこんでしまう。そうして自覚している今も、それが正しい認識だと頭の片隅では思っている。
だからこそ、槙島には、本当にわからないのかもしれない。
そう考えると、腕のなかに抱いた彼の存在が、急に年相応の青年に思えた。
「何なんですかねぇ……」グソンは顔を起こした。なんとなく照れ臭い気持ちを、槙島の頬をなでることで紛らわしながら、おだやかな声で、語り聞かせるように話し出す。
「あなたと一緒に色々やるのはね、楽しいんですよ。ばかやってるガキの頃に戻ったみたいで……自由になった気分になる」
「じゃ……本当の自由は、もういらないのかい?」
「シビュラのない世界ってことですかい? そうですねぇ……考えたこともなかったなぁ。もともと俺の祖国にシビュラはありませんが、この国のほうがよっぽどマシだと思いますし」
「……そうか。君はシビュラの外側から来たんだったね」
槙島のまなざしがわずかに伏せられる。声の調子もわずかに変化した。どこか、つまらなそうだった。
グソンは槙島の表情を慎重にうかがいながら「ああ……でも、そうですね」と口をひらいた。おもねるわけではないが、不必要なことを言うくらいなら、沈黙を選んだほうがはるかにいい。
「シビュラの正体には、興味がありますよ」
その応えは正解だったのかはわからないが、槙島の金色の瞳に、好奇の色がやどったようだった。
グソンにとって、槙島は自由の象徴のような存在だ。そんなシビュラの内側にありながら、シビュラの外側にいるような人間の不満など、理解はしきれない。だが槙島には、システムに縛られた者たちへ、なにかもどかしげな想いがある。それくらいは察せられた。
「俺はもともとシビュラの秘密を探るために潜入した工作員ですが、あのシステムには、個人的にも好奇心をそそられる。どう考えてもおかしなところがありますからね。といっても祖国は崩壊しちまったし、暴くリスクに見合うリターンもないんで、ただ燻って生きてきましたが……」
そこで言葉を切ったグソンを、槙島は沈黙でつづきをうながしている。まっすぐな瞳に見つめられては、煙に巻くことはできそうになかった。
「……そんな俺に、旦那が目的を与えてくれたんですよ」
グソンがいっそ開きなおる思いで言い放つと、槙島は何度かまばたきをして、そうか、と納得したように微笑んだ。
「それは、生きがい、と言いかえてもいいものなのかな」
「そうかもしれませんね」
槙島からため息とも嘆息ともつかない、小さな呼吸が吐き出される。
「……チェ・グソン」内緒話をするように声を落としたささやきへ、グソンは顔を近づけた。「実は、」と槙島の低く甘やかな声がくちびるを撫でる。
「面白いことを考えていてね……まだ、具体的なことは決まっていないんだが……」
「へぇ……? そりゃあ、いったいどんなお愉しみなんです……」
「《《後のお愉しみ》》さ。いずれ……君にはすべて話そう」
脳をしびれさせるような甘言にくらくらしていると、
「ああ、君の、脈打ってる」槙島がはしゃぐように笑った。反射運動はごまかせないな、というようなきらめくまなざしに向けて、グソンはおおげさにため息をついてみせた。
「俺をこき使うために、でしょう?」
いつものあしらいに槙島は「そうだな」と乗ってきて、グソンの耳元に唇を近づけた。
「だって《《こんな》》ものじゃないだろう、君の、技術は……」
「……そこまで期待されちゃ、応えないわけにもいきませんね」
これだから、この人のイタズラに付き合うのは愉しくっていけねえ。
それから、時間も目的も意味も忘れて、セックスを覚えたてのガキのようにヤりまくった。
正常位は、美しい顔のゆがむところを見下ろせるのがいい。中出しでますます具合のよくなった腸内に出し入れし、すっかり開発された前立腺を容赦なく擦ってやると、よだれを垂らしながらメスイキしまくる様子がたまらない。一発出したばかりだというのに、すぐに限界をむかえそうになった。グソンが射精感を落ち着かせていると、転がっていたラブ・ドラッグを拾った槙島に「君も吸いなよ」と鼻先に差し出され、頭がクラっと揺れ、陰茎に血流が集中した。気づけば槙島の舌を吸いながら激しく奥を責め立てていた。ラリっている間に、少なくとも二発は出した。
クスリが抜けたあとの倦怠感はすさまじい。グソンは、気絶していた槙島を起こすと、上にまたがらせて、自分で動くように言った。あんなによがり狂っていたくせに、槙島はうつむいた銀髪を振り乱しながら、何度も何度も跳ねるように上下した。あきれるほどの体力だったが、すぐに甘イキするせいで、頻繁に動きが止まり、もどかしくなる。もう少しで出そうだというところで、また座り込まれてたえられなくなり、恍惚の最中にある槙島をかき抱いて、下から突き上げまくった。
そこまでやって、ようやく勃起はおさまりかけた。だが、槙島が膝をガクつかせながら退こうとするのを見て、異様な興奮に火がついた。
「俺の好きにしていいって……言いましたよね」グソンは抵抗できなくなった槙島を組みしいて、腰を振りたくった。クスリが揮発しきるまで吸わせたり、吸ったり、出たのか出てないのかもよくわからないまま、ぐったりとした白い身体を延々とゆさぶった。いつ終わったのかは覚えていない。
身体がなまりにでもなったかのような重いけだるさが、全身をシーツにはりつけている。せめて身を綺麗にしたいが、とても動けそうにない。こうなることはわかっていたが、途中でやめられるほど正気ではいられなかった。
これで、終いだからだ。
槙島はもういない。
ひとりでちょうどいいはずのベッドが、妙に寒々しく感じたが、同時にすこし安堵した。これ以上、あの男に深入りをしてはいけない。その先に待つのは破滅だけだ。気分を盛り上げるために、たがいに役割を演じて、報酬として申し分のない時間を過ごした、それだけのことだ。そうでなくてはならない。
それにしても、あれだけヤって自力で動けるのはさすがという他はなかった。
グソンは気だるい腕でベッドサイドの端末に手を伸ばした。時間は十二時をまわっていた。クスリをキメすぎてトリップでもしていたような気分だったが、荒れ放題の周辺と、義眼にのこされた記録が、やはり昨夜の狂騒が現実であったことを物語っている。
——あ、ぁ、ああっ!
——ほらほら、さっきまでの威勢はどうしたんですか。旦那。
端末と同期させた義眼から、骨伝導式の音声が再生された。ただでさえ現実味のなかった出来事が、映像となるとますます仮想的だ。
早送りをくりかえしながら、断片的な記憶を補完していると、体力の限界で倒れこんだと思しき暗転が起きた。そこからは何もない時間が続いていく。
これで終わりか、と停止しようとしたそのとき、「……チェ・グソン」と、ささやき声が過ぎ去っていった。グソンはあやうく聞き逃しかけた槙島の言葉まで時を戻した。
「君は……自由を手に入れたとして、その先はどうするのかな。まだ僕の行く先についてくるだろうか——」
つぶやくように語りかけられた言葉に、グソンは思わず「旦那」と声を上げた。
「やあ、ようやく起きたようだ」
「あ……槙島さん」
とっさに視界をきりかえて瞼をあけると、本物の槙島聖護にのぞきこまれていた。映像音声に気を取られて、現実の物音に気がつかなかったらしい。グソンは「おはようございます……」と言いながら、のろのろ起き上がった。
「おはよう、昼食を作ってくれないか。君も腹が減っただろう。……運動もしたことだし」
「はは……おかげさまで。たまには旦那が作ってくれてもいいんですよ」
「期待には応えてくれるんじゃなかったっけ」
「やれやれ……年上は労ってほしいもんですね」
軋むようなからだを伸ばしながら「朝食はどうしたんです」「冷蔵庫の、昨日の残り物を食べたよ」「そうですか。先にシャワーを浴びても?」「ああ」と会話を交わした。
何の変わりもない日常だ。まあ、こんなものだろう。
グソンは、あえてぬるま湯よりもやや冷たい水を浴びながら、情交の名残を流していった。
槙島と自分はけっしてそういう関係ではないし、そうなることを望んでいるわけでもない。ベッドでの睦言は、目覚めれば戯言に変わる。それでいい。義眼に残された記録も。セックスという熱の余韻がみせた蜃気楼にちがいない。
だがどうしても、最後のこぼれ出たような吐露が気になった。続きはあるのだろうか。中断された記録を少し前から再生する。
——何も、聞こえない。
グソンはハッとして、それから、流水音にまぎれさせるように喉を鳴らして笑った。
あなたに少しくらいは興味を持たれている……と思うだけなら、かまいませんかね。槙島の旦那。
「シビュラを破壊しよう」
槙島が計画を切り出したとき、チェ・グソンはさほど驚いた様子をみせなかった。
後にそれを指摘すると「まあ、薄々そんなことだろうと思ってたんで」と食えない笑みをうかべて言ったものだ。ただ、ヘルメット完成の目処が立った時点では、彼は「少し、考えさせてください」という答えるだけだった。槙島は、それは当然のことだとうなずいたが、断られることはないだろうとも確信していた。
「シビュラの破壊は、世界の崩壊に他ならない。君に支払う報酬も、もはや意味をなさなくなるかもしれないからね」
「……だから聞いたんです? 頼み事なんて」
「それもあるかもしれないが、君のアイデアが素晴らしかったから、ただ純粋に報いたかっただけさ」
「まあそれで美味しい思いができたんですから、役得ですね」
義眼を妖しく光らせるグソンに、槙島は「ふ、」と微笑んだ。
あれからも何度かともに夜を過ごしたが、必要以上に踏み込まないところは変わっていない。
「ところで、俺が断ったらどうするんです?」
「それが君の選択なら、仕方ない。必要なら新しいセーフハウスくらいは手配しよう」
「殺さないんですかい?」槙島の返事に、グソンは意外そうな顔をした。
「どうして?」槙島は口角をつりあげながら剃刀を取り出した。よく研がれた刃を見せつけるように開いてみせる。
「君が計画の邪魔をするというなら、その必要もあるかもしれないが」
「まさか、そんな命がいくつあっても足りねえようなこと、するわけないでしょう。でも、俺は旦那の情報を知りすぎてますからね。もし公安につかまりでもしたら……」
「その前にシビュラが破壊されるか、あるいは——僕が殺されるか、だ」
槙島は剃刀を元どおりにしまった。グソンもここで流血沙汰にはならないだろうと思っていたか、殺されるようなことはしていないという自負か、まったく動揺を見せなかった。その時すでに断るつもりがなかったから、なのかもしれないが。
結局のところ、グソンは最後まで槙島についてきた。
にじむ血と硝煙、散らばるガラスの破片と人体、暴徒化した市民の跋扈する、ホログラムという幻影を剥がされた市街地。
荒れた道路をマニュアルで運転しながら、グソンは、簡潔に答えを口にした。
「最後まで、お付き合いしますよ」
槙島は流れゆく変わり果てた街をながめながら、しばし黙りこんでいた。
あわれな子羊は檻から解放される。だが飼いならされた家畜が野生に適応するまでには、どれだけかかるだろう。果たしてシビュラのない世界で望むものを手に入れられる日は来るのだろうか?
「僕は、君が敵対することを少しだけ……期待したのかもしれない」
「勘弁してくださいよ。俺が旦那にかなうわけないでしょう」
「それもそうだな。どうしてだろう、君はけっして悪くないと思うのに。たとえば、直接殺し合うのではなく、君の得意分野で追い詰められたり……可能性はあると思わないかね?」
「まあ。今までも旦那を殺そうと思えば、いくらでもチャンスはありましたよ。でも、やらなかった。それが答えなんじゃないですかねぇ」
そうか。と腑に落ちた。
槙島は車窓ごしにグソンへ微笑みかけた。
「……やっぱり、君がついてきてくれて良かったと思うよ。チェ・グソン。君を失うことは、身体の一部を欠くようなものだ」
「そりゃ光栄ですね。スペアはございますんで?」
視線に気がついたグソンが笑みをかえした。
なんだ、わかっているんじゃないか。
槙島は目を閉じて心地よい揺れに身をまかせた。
「その必要はないさ」
そんな世界を壊しにいくところなのだから。