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チョコ

チョコ食べさせてみた  ぼり、ぼり、ぼり。  ソファで並びあった隣から、口いっぱいに頬張ったあまい塊をかみ砕く音が聞こえる。  ハーデスは手元の本に視線を落としながら、豪快な咀嚼音が静かになっていくのを確認し、そろそろか、と手の中に小さな丸いかたまりを創造した。 「ん」という声を合図に、塊をいくつも宙に放り投げる。甘味はきれいな放射線を描いて、隣の彼の口内へおさまった。  ぼり、ぼり、ぼり。  物質的な素材をもちいず、魔力と概念だけで創造された食糧は、創造者——ハーデスのエーテルの塊といえる。彼をちらりと横目に映すと、彼のエーテルが自分の色とまざり、溶け合い、体内に浸透していくのが視えた。ハーデスの視線にじっとりとした熱がともる。 「ん、」口の中のものを飲みこんだ彼が、おかわりをねだった。  ハーデスはあらたに創造した塊を手に逡巡すると、それを自分の口に放り込んだ。 「あっ」不満げな声が上がったが、無視して塊をかみ砕く。思ったよりも苦味のある概念が口の中にひろがった。向けられた貪欲なまなざしを笑ってやると、吊り上がった唇ごと喰われる。ハーデスは本を置いてさしこまれた舌に応えた。唾液ととともに互いのエーテルが交わる。甘いものも悪くない。 チョコしゃぶらせてみた  管理局の仕事を終えたヒュトロダエウスは、いつも通りに自室ではない扉を開けた。友人であるハーデスの住まいだが、主人はまだ帰っていないようだ。かわりにもうひとり、勝手知ったる様子で居座っている彼がいた。 「おかえり」彼はベッドに横たわっていた上半身を起こして、すんすんと空気を吸い、不思議そうな顔をした。おそらく身にまとう香りが変わっていることに気がついたのだろう。 「ただいま」ベッドに腰かける。花の蜜に誘引される蜂のように、彼が寄ってくる。 「やっぱり、香りを変えたのかい」 「ハルマルト院からあたらしい香のイデアが持ち込まれてね」  ヒュトロダエウスは持ち出してきた小瓶を見せた。中には種のような褐色のつぶが詰まっている。 「これを食べると、体から甘いにおいがするようになる」 「体臭そのものが変わるのかい、それは画期的だ」 「嗅ぎ比べてみるかい」  彼はごくりと唾をのんだ。そしてわずかな逡巡のあとうなずいた。  ヒュトロダエウスは彼を抱き寄せると、鼻を袖口でふさいだ。突然の行動に彼は「んう」とうめいてちょっとした抵抗をみせたが、ひと呼吸するたびに体の力が抜けていった。  浅い呼吸がふかくなり、すっかり弛緩した頃に、彼を解放してやる。 「さあ、今度はこっちにおいで」  向かい合わせになって、首筋を指し示す。彼はふらふらとヒュトロダエウスの身に倒れ込んで、うなじに鼻を押しつけた。濃密な甘いにおいに味を錯覚したのか、唇が肌を食む。 「そんなに気に入ったのかい」  ヒュトロダエウスは小瓶を開けて、香りの種子をひとつ取り出した。 「口を開けて」彼は従順に唇をひらいた。その中に落としたりはせずに、指先でつまんだまま舌に押しつける。彼はぼうっとしたようにヒュトロダエウスの指ごと種をしゃぶった。完全にとけきるまで。 チョコ飲ませてみた 「今日はいつにも増して表情が固いなあ」  ヒュトロダエウスの言葉に、ハーデスの眉間の皺は一層ふかくなった。 「欲求不満かい?」 「な、……っ、視ていたのか、お前」 「そっか。やっぱりできなかったんだね」  鎌をかけられたことを悟って、ハーデスは苦虫を噛み潰した表情をした。 「そんなキミにちょうどいいイデアがあって……」 「いらん、不要だ」  どうせろくでもない物に決まっている。ハーデスは即座に断ったが、ヒュトロダエウスはまるっきり無視してイデアを顕現させた。あらわれたのは小瓶。褐色の液体に満たされている。ハーデスはため息をついた。組成を視たところ、ヒトのエーテルに作用するものであることは間違いない。どうせ、性的興奮をうながす媚薬だとか、そんなところだろう。 「……それをどうするつもりだ」 「キミが飲むか、彼に飲ませるか……好きなほうを選んでかまわないよ」  ここで断れば餌食になるのは……そう考えると、ハーデスの選択肢などないも同然だった。構うものかという気もするが、平常ではない彼に流されるまま、そういうことをしたくはない(正直なところ、その様を目の前にして理性を保てるほどの自信はなかった)。だが自分で飲めば、ヒュトロダエウスの思惑通りにさせないこともできる。 「いいだろう、飲んでやる」 「フフ、さすがは偉大なる《《エメトセルク》》だね」  きゅぽっ、と音を立てて蓋があけられる。その瞬間から甘ったるい匂いが室内に充満した。身体を本能的な拒絶反応が走る。これは見た目以上に何かまずいものの気がする。ハーデスはさっそく後悔した。しかし飲んでやると言った手前、もはや後には引けない。  ハーデスは手渡された小瓶の中身を、一息にあおった。粘り気のある甘い液体が、喉に引っかかりながら流れ落ちていく。 「…………これで満足か」 「キミはあの人のことが好きかい?」  地を這うような声にたいして、ヒュトロダエウスはまったく話の噛み合っていない問いかけをした。 「なにを……好きだが、それが何か……はっ……⁉︎」 「うん、《《素直になれる》》イデア、ちゃんと効いているね。それじゃあ彼を呼んでこようか」 「おい、待て、お前——ッ!」 チョコ食べさせ合ってみた 「ん……はぁ……」  甘味が完全になくなっても、ハーデスと彼は名残惜しむように口づけを繰り返していた。たがいの頭髪に指を埋め、濡れた唇を重ね合わせる。薄皮をついばみ合い、とろけるような感触に酔った。  下肢の熱が触れ合う。彼は先に進みたかったが、手を伸ばそうとすると避けられて、ソファに押し倒された。  どうやら変なスイッチが入っているらしく、ハーデスはキスだけに集中したいようだった。生殺し状態だ。んー、んー、とうめき声をあげて抗議すると、ハーデスは眉間にしわを寄せて唇を離した。唾液が糸を引く様子にしばし目を奪われていると、唐突に甘いかけらを押しこまれる。  甘苦い。ハーデスの味だ。彼は抵抗力をうばわれ、身をゆだねざるを得なくなった。ふたたび唇を覆われ、ちゅく、ちゅく、と淫靡な音がひびく。 「今日はまた、一段とおいしそうだね」  突然ヒュトロダエウスがひょっこりと顔を出し、彼らを覗きこんだ。 「ワタシもいいかな」  ヒュトロダエウスは自身の魔力でおなじようにエーテルのかけらを創り、歯にはさんでみせた。彼に覆いかぶさっていたハーデスが、気だるげな所作で起き上がる。 「……ん」  ハーデスとヒュトロダエウスは、三人分のエーテルをまぜあわせるように、何度か舌をからめあってから唇を離した。口にふくんだヒュトロダエウスのかけらを、今度は彼に口渡しする。  混ざり合ったエーテルは、甘さを増していた。奥にあるそれぞれの固有の魔力が、互いの味を引き立てている。そそがれるエーテルを彼は夢中になって飲み込んだ。体内が燃えるように熱くなる。  極上のイデアが出来上がるのに、そう時間はかからなかった。