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Jeux inconnus

「ハーデス、君は《《セックス》》ってしたことあるかい?」  藪から棒に一体なんだ、とハーデスは借りてきた弁論記録から目を離して、勝手にひざを枕にしている彼につめたい目線を下ろしたが、彼は興味が自分に移ったことに喜ぶかのようにぱっと表情を明るくした。  彼はハーデスの真剣な表情を見るのが好きで、飽きもせずに、いつもじっとこうして眺めているのだった。最初にそうされたときは、その居心地の悪さに、私室であるというのに仮面を身につけたままにしたものだが、彼が露骨に残念そうな顔をするものだから、結局のところハーデスは彼の前に素顔をさらし続ける羽目になっている。 「……お前には関係ないだろう」 「したことがあるのだったら、どういう感じか知りたかったんだ。ほら、僕はしたことがないから」  ほう、したことがないのか。ハーデスは彼の言葉に興味をそそられた。意外とも言えるしそうでもないとも言える。 「この間、官能をテーマにした物語を読んだのだけれど、おなじ人の欲求のなかでも、睡眠や食欲などの生理的欲求はおろか、自己実現の欲求までをも凌駕する快楽だという記述があってね。けれど、僕にはとてもそうは思えないんだ。あらたな知見を得たり、世界の法則を見つけたり、優れたイデアを生み出すことよりも、充足感を得られることが本当にあるのだろうか?」 「単純な生理的欲求が、それに優るとは私も思わんが、愛、という概念があるだろう。それを深め、高め合う行為だとするならば、また違う見解になるんじゃないか」 「なるほど。そう定義すると、セックスとは肉体と精神の両方に作用する行為になるのか。それはますます体験してみたくなるなあ」 「……まあ、そういうことは、お前のほうが詳しいんじゃないのか、ヒュトロダエウス」 「ええ、そこでワタシに振るのかい?」  ハーデスのとなり——彼の横たわった足を乗せたヒュトロダエウスは、二人の会話をにやにやとしながら聞いていた。彼らはいつもハーデスの私室に入りびたり、そして何かとこうしてくっついてくるので、そこそこ広い空間のはずが、ソファもベッドもいつもぎゅうぎゅう詰めだ(そのことに苦言を呈し続けていたハーデス自身も、今となってはもはや諦めている)。 「ああ……たしかに……君はとても詳しそうだ」 「自分の経験について話した覚えはないんだけれどなあ」 「だって……ときどき聞くよ、君が噂されているところ。《《局長フレグランス》》も人気だし……」 「そのイデアは認可を出してないはずだけれどなあ」 「十四人委員会の誰よりも話題になってるんじゃないか」 「ワタシは一介の市民に過ぎないんだけれどなあ」  朗らかな微笑みをうかべるヒュトロダエウスの人柄は、創造物管理局が市民にとって身近でなじみのあるぶん有名だ。あまり表に出ることはないのだが、柔和な声音や、すらりと伸びた上背や、すれ違ったときの香りも、ひときわ存在感がある。そして、イデアの本質を見抜くと称される、仮面に秘されたまなざしに、じっと見つめられたりすれば、なにかぞくぞくとした感覚が背筋をかけたりする、なんともくせになるような男なのだ。たくさんの人に慕情を抱かれているのも無理はないと、そういう《《経験》》のない彼でさえ、納得するほどだった。 「それで、結局のところどうなんだい?」  彼は知的好奇心にみちた表情で、上体を起こした。真剣に話を聞きたいという気持ちのあらわれだろう。ヒュトロダエウスは穏やかな笑みを浮かべたまま、すっと目を細めて言った。 「そんなに知りたいのかい?」  彼の耳元に唇を寄せる。 「……セックスについて」  耳にささやかれた吐息が、脳髄を一瞬にして犯し、ぞくっとした痺れが駆け抜けた。 「……は、……え……?」 「教えてあげようか」  硬直する彼の耳朶をさわさわとくすぐりながら、ヒュトロダエウスは冗談かどうかも曖昧な声音で問いかけた。 「……おい、ここは私の部屋だぞ」 「フフ、わかっているよ。まさか本当に《《する》》わけないだろう?」  おどけたように言うヒュトロダエウスの表情はこなれたもので、その人畜無害そうな微笑みでいったいどれだけ《《経験》》とやらを積んできたのか……ハーデスは胡乱げな視線を向けた。 「じゃ、あ……なにをするんだい」 「あくまで《《真似事》》だよ。素肌は合わせない。シーツを汚すようなこともしない。もしかすると、ローブはすこし汚れるかもしれないけれど……ね」 「それで、本当に、その……セックス、についてわかるのかい?」 「少なくとも、物語を読むよりは理解できるんじゃないかな」  彼はごくっと喉をならした。未知なる世界へ惹かれているのか、それともすでに快楽の片鱗の虜となってしまったのか。なんとなく、ハーデスに赦しを乞うような、伺いの視線を向ける。くだらないと言いたげな表情の向こう側に、ぎらついた熱のようなものを感じて、彼は目をそらした。 「おいで」  ベッドにねそべったヒュトロダエウスに呼ばれて、彼はおそるおそるシーツの上に乗りあがった。 「キミもだよ、ハーデス」 「ハァ? なぜ私まで……」 「だって《《経験》》したこと無いだろう?」  図星だった。とっさに違うと否定してみせたかったが、あまりにも当然のように言い放たれたので、なにも言葉が出てこなかった。  その《《眼》》は経験の有無まで視えるのか? いやそんなはずはない。ただなぜかヒュトロダエウスにはわかるだけだ。無闇に否定しても墓穴を掘ることになりかねないと判断して、ハーデスは心中をため息に込め、おとなしくベッドの縁に腰かけた。 「よ、よろしくお願いします……、せ、先生」  彼は神妙な面持ちで、うながされるままヒュトロダエウスの上にまたがった。 「フフ、その呼び方はなかなか新鮮だね」 「っあ」  勢いよく上体を起こしたヒュトロダエウスにより、彼はくるんと体勢がひっくり返って、気づけば仰向けの状態になっていた。わけもわからず見上げると、垂れ下がる髪をかきあげる様を目の当たりにする。あやしい空気にのまれそうになり、咄嗟に顔をそむけると、そこにハーデスの背中を見つけて、彼はすがるように布地をにぎりしめた。 「そんなに不安なら、止めておいたらどうだ」  からだの向きを傾けたハーデスに、鼻で笑うように言い捨てられて、彼はむっとしたように顔をしかめた。けれどその手はローブをつかんだままだった。 「ワタシを見るんだ」 「…………っぁ」  ヒュトロダエウスが彼とほとんど額をあわせるようにして視覚を支配した。いつものおだやかなまなざしであるはずなのに、まるで射抜かれたように身動きがとれなくなっていた。清涼でいてどこかほのかに甘さのある香りが鼻腔を通り抜ける。頭がぼうっとしてなにも考えられない。 「キミたちの言うとおり、セックスの快楽は、肉欲だけじゃない。そんなものは自慰と同じだからね。キミもしているだろう?」  布地越しに太腿の内側をつう、と指先でなぞられて、彼はひっと声をあげた。くすぐったい、だけのはずなのだが、行き場のない感覚があらぬところへ集まっていくようだった。 「それとも……あんまりしないのかな?」  すでにゆるやかに硬度を増しつつあるそれを揶揄する。 「はぁ……はぁ……何か、おかしい、よ……こんなの、ただの真似事じゃ……」 「へえ。なにがおかしいんだい」  ヒュトロダエウスは悪魔的な微笑をうかべながら、彼の臀部に腰を押しつけた。 「ほら、なにも《《当たらない》》だろう? だからこれは遊びにすぎないよ」  ぐりぐりと股間を擦りつけられて、彼はたまらず赤面した。たしかにそこに《《硬いもの》》は存在しなかったが、そんなに密着されては感触がつたわるというものだ。膨らみと弾力が。しかも、平常時だというのに明らかに、自分のそれよりずっと——。  これが遊びではなく《《本気》》になったとしたら、いったいどうなってしまうのだろう。脳裏を勝手にイメージが描き出されて、ますます変な気分になっていく。ハーデスにすがりつく指に力が入った。かれにどんな目でみられているのか、確認するのが心底おそろしかった。 「キミは自分でするとき、なにを想像しているのかな」  脚の付け根をくすぐられている。その中心がひくんひくんと痙攣しているのは、もはや隠しようがなかった。 「……と、くに……なにも……ただ、擦って……」 「それだけ? 誰かを思い浮かべたりしないのかい」  ヒュトロダエウスは彼の耳もとへ唇をかぎりなく近づけた。吐息がぞわぞわとして全身がこわばり、彼の脚がのしかかった身体をぎゅうっとはさんだ。 「たとえば……ハーデスとか」 「——……っ!」  じわりとローブにしみが広がった。 「おっと、やっぱりローブが汚れてしまったね」  ヒュトロダエウスはパッと身を離した。彼はすぐに膝をたてて粗相を隠したが、頬の紅潮と荒い息遣いから、おさまらない興奮に身を焦がしていることは明らかだった。 「どうだい、セックスについて少しは何かわかったかな」  わかるもなにも、むしろ余計にわからなくなったと彼は思った。セックスとは、いったい何なのだ。知識とはあるところから、点と点が線でつながるように、あるいは世界がひろがるように理解できるものだが、ある種の知識は、深淵をのぞきこんだように、手をのばしても底の深さが知れるばかりで、途方に暮れてしまうことがある。これは、《《性愛》》とはなにかというエニグマだ。 「もっと、……知りたい」  彼はうっとりと囁いた。ヒュトロダエウスは目を丸くして「キミの知識欲には恐れ入るよ」と苦笑いした。 「ハーデス、今度はキミの番だよ」 「いらん。必要ない」  親友の即答にヒュトロダエウスは一瞬微笑を引っ込めたあと、こみあげる笑いをおさえるように肩を震わせた。 「……フフ、フフフフ……もしかして、彼と同じことをされると思ったのかい?」 「なんでもいい。お前とそういうことをするつもりはない」 「ワタシとじゃないよ、彼と、だ」  先に反応したのは快感の余韻にふるえていた彼だった。 「そ、れは、だめだっ」 「どうしてだい」  ヒュトロダエウスが言外に「それがキミの望みじゃないか」と核心をついていた。そのとおりだ、だからこそなのだ。これは《《真似事》》に他ならないのに、そうではなくなってしまう。 「ワタシは良くて、ハーデスはだめなのかい?」 「そういう意味じゃ……ちがうんだ、ハーデス……僕は……」 「別にいいだろう。そのまま、そいつにしてもらえ」  平坦な声色からは、感情が読めない。彼は勇気をふりしぼってハーデスの顔を見上げようとしたが、最初からそうだったのか、それとも、そむけてしまったのか、どちらにせよ表情を窺うことはできなかった。 「……僕、は……」 →ハーデスルート  彼の手は、ハーデスにすがりついたまま離れなかった。  本当は《《真似事》》でもいい、かれの温もりを感じたかった。あさましい欲望だ。このままの関係でいいのだと想いに蓋をしてきたのに、結局は求めてしまう。  沈黙してしまったふたりに、ヒュトロダエウスは小首をかしげた。 「なにをそんなに頑なになっているのかわからないなあ。……ああ、もしかして、勃っていることを知られるのが恥ずかしいのかい?」 「っ……お前な……」  エーテル視で見たな、と、ハーデスは恨みがましい目でヒュトロダエウスをにらんだ。 「気にすることはないよ、キミたちは慣れてないからね。そういう雰囲気にあてられて、からだが反応するのは自然なことだ」 (勃っ……ハーデスが、勃って……?)  彼はさりげなく横目でハーデスの股間を確認した。うまい具合に腕で隠されていてよく見えない。 「……やめろ」 「あっ……、ご、ごめん」  ばればれだったらしい。彼は羞恥に顔を真っ赤にそめて目をそらした。どう思われてしまったのだろう。けれど、あのハーデスが、性的に興奮しているという事実を思うと、胸が高鳴ってしまうのだ。当然のことだが、かれにもそういう生理的欲求は存在していて、精通だってしていて、定期的な処理もしているはずで……。 「彼のが気になるのかい?」  ヒュトロダエウスが悪戯っぽい顔をして言った。 「あっ……いやっ……き、君のが僕のより……その、大きかったから……ハーデスのも、そうなのだろうかと……」  彼の頭は熱っぽくなって、正常な判断ができなくなりつつあった。ちらちらと何度もハーデスを——そのローブの下に隠されたものに視線をやってしまう。 「さわらせてもらえばいいじゃないか」 「ハァ? 何を言って……」 「キミのその態度が問題だよ、ハーデス。彼は純粋に知識をもとめているんだから、協力してあげるべきだ。恥ずかしいことでもなんでもない、これは単なる性愛の研究に過ぎないのに、《《経験》》がないからって意識しすぎじゃないのかい」  ヒュトロダエウスの弁舌に、ハーデスは呆気にとられるしかなかった。ぺらぺらとよくもまあ舌のまわることだ、冷静に考えなくても言っていることはおかしいが、反論しようとなるとなかなか難しい。彼はどうみたって、知識欲というより性的興奮でおかしくなっているが、まあ建前として主張できる程度には、《《セックス》》というものに純粋な興味があるようだ。それにハーデスにとって、協力は《《厭》》というわけではなかった。ただ……そう、ヒュトロダエウスの言う通り、羞恥心が邪魔をしていただけで。 「……さわりたいのか?」  ハーデスは彼に先行きをゆだねることにした。《《セックス》》について知りたいと言ったのは彼であって、自分には関係ない、ただ協力するだけだ。決して触ってほしいとかそういうわけではなく……ハーデスはヒュトロダエウスを視界に入れないようにした。 「えっ……」  彼はうろたえた。触れたいかと聞かれれば、それはもちろん触れたいに決まっている。だが、ヒュトロダエウスの言うような純粋な知的好奇心など、今の彼にはほとんど存在していなかった。下心しかない。少なくともヒュトロダエウスには丸わかりであるはずだというのに——戸惑いの視線を向けると、にっこりと笑みを深められる。  ああ、やっぱり、最初からそのつもりだったのだ。 「……触らせて、くれるかい?」  もうどうにでもなれ! という気持ちで、彼は言い放った。  ハーデスはなんとも深いため息をつき、重い腰をもちあげて、彼の前にひざ立ちになった。 「……これでいいか」  突き出された腰はぴんと布地がはっていて、中の存在をはっきりと主張していた。興奮の証を目の当たりにして、彼自身の象徴にも熱があつまる。  おそるおそる指を伸ばして、ちょん、と突いてみる。びくりと跳ねたことに彼は「あっ」とおどろいて手を引っ込めた。 「……っお前……もう少し、触り方ってものがあるだろう」 「あー、えっと、こうかな……」  あらためて手のひらでそっと幹をつつみこむ。熱い——しっかりと握りしめると、どくどくと血流の脈打ちが伝わった。指で半輪をつくるようにして根元から雁首までを測っていくと、その太さがよくわかった。長さもある。ヒュトロダエウスのものもそうだが、こんなに大きくて、本当に入るのだろうか。それとも、自分のはそんなに小さいのだろうか。彼は心配になった。  今度は触れることを避けていた亀頭部を指先でつまんでみる。ふにふにとした柔らかい感触はまったく同じだったが、膨らんだそれは、やはり大きかった。匂いもかいでみたい、けれどそれはさすがに行き過ぎだろうと、欲望に誘惑されながら、雁首の高さを調べていると、はあ、彼の頭上に吐息が落ちる。 「もう……、十分だろう」  ハーデスは彼の肩をぐいと押しのけた。 「あ、つい夢中になって……ありがとう、よくわかったよ」  決して快感を高めるような手つきではなく、形を調べることに徹していたはずだが、なにかいやらしさを感じさせてしまっただろうか。彼の手のひらにはまだ生々しい感触が残っている。いつからか息づかいが荒くなっていた。 「出そうだったのかな?」 「……ヒュトロダエウス」 「冗談だよ」  ヒュトロダエウスは肩をすくめた。  しかしあながち間違いでもなかった。あれ以上触れられていたら、先走りがローブに染みていたに違いない。ハーデスは興奮を落ち着かせるように深呼吸した。 「それじゃあ、キミも触らせてあげたらどうだい」  うん、名案だ、とヒュトロダエウスは自分の言葉にうなずいた。 「えっ!」  彼は口をぱくぱくと開閉させた。ハーデスに触れられる? 想像したせいであらたな蜜が幹をたれおちた。さりげなく股を閉ざしながら、そんなことはさせられないと首を横に振る。 「ハーデスは別に、僕のを触る必要は……」 「さわってほしくないのかい?」 「い、いや、そういう問題ではなくて、だって……」  どんどん追い詰めてくるようなヒュトロダエウスから、彼は助けをもとめるようにハーデスに視線を向けた。 「き、君もなにか……」  しかしハーデスはなにも言わなかった。どこか据わったようなまなざしに見返されて言葉に詰まる。眉間の皺が三割増しだ。そんなに怒らせてしまったのだろうか。不安に表情を曇らせる彼に、ヒュトロダエウスが詰め寄った。 「キミの目的はなんだったかな」 「……セ……セックスについて理解すること……」  気圧されながら答える。ほとんど押し倒されているも同然な体勢になったところで、ヒュトロダエウスは彼の耳元に唇をよせ、官能的にささやいた。 「いいかい……キミはこれから、ハーデスとセックスするんだよ」  何事かを喋ろうとした彼の唇に、人差し指が押し当てられる。ヒュトロダエウスは言葉を封じたまま、催眠魔法をかけるように彼の脳に語りかけた。 「セックスは恋人とするものだ。ハーデスはキミの恋人で……キミは彼をセックスに誘う。わかったかい」  これは命令形だ。ヒュトロダエウスの呪文だ。彼には頷く以外の選択肢は用意されていなかった。 (僕は、ハーデスの恋人。  これから彼を誘って……セックスする……)  ぞくぞくとした期待が神経をかけめぐる。暗示のかけ方としては軽いものだったが、ヒュトロダエウスに心を開いていること、ハーデスに慕情を抱いていること、性的興奮によって理性の座がゆるくなっていたことから、彼はあっけないほどに陥落した。 「キスをされたら、キミは元に戻る」  最後に解呪条件をきざみこんで、ヒュトロダエウスが上から退くと、彼は四つん這いになってハーデスに近づき——先ほどまで感触を味わっていた膨らみへ、鼻を押しつけた。 「な、……っ、おい、こいつに何をした」  ハーデスはぎょっとして彼を押し返しながら問い詰めた。ヒュトロダエウスはにやにやとした笑みを隠しもせずに「大したことはしていないよ」と言いのけた。 「何をしたと聞いている、」  ハーデスの詰問は続かなかった。彼が覆いかぶさったことにより、シーツが波打って、それどころではなくなったのだ。  彼は「やめろ」ともがくハーデスを力尽くで押さえつけて、ローブごしに張り詰めたそこに吸いついた。びくっと足が跳ねて、抵抗が弱まったのを見計らって、彼は思う存分に息を吸った。 「か……嗅ぐな……ッ」 「あー……まあ、これはこれで」  ヒュトロダエウスは、ある意味で予想以上の効果におどろいたが、そのまま見守ることにした。  《《誘う》》というよりは、抑圧されていた願望が表に出る形になってしまったが、目的そのものは達成されるだろう。ハーデスは羞恥に暴れているが、本気の抵抗ではなかったし、彼は彼でうっとりとしたように興奮を高めていた。 「は……ぁ……」  すー……、はー……、と鼻を埋めたまま深呼吸するたび、かぐわしい体臭に酔ったようになる。鼻先で布地をかきわけて、根元とふくろの間にぴたりとくっつけると、匂いはますます濃厚になった。良き市民たるもの、身だしなみはつねに魔法で清潔にしてはいるものの、生物的なフェロモンともいうべき体臭を、完全に消しているわけではない。生き物である以上、新陳代謝があり、汗だってかくのだ。その人間らしさ、個としての存在の証明、ハーデスという遺伝子を感じられる行為に、彼は夢中になった。鼻をひくつかせながら、唇にあたるやわらかなふたつの袋を食む。 「いい加減に……しろっ」  ハーデスは渾身の力をこめて、どうにか彼を引き剥がした。 「はー、です……」 「聞こえるか、正気に戻れ」  頬をぺちぺちと叩いて、焦点の曖昧な目をのぞく。しかしヒュトロダエウスの暗示は、まったく解ける気配がない。どうにかしろ、という目線は当然のように無視された。 「……は、です、……僕の、触ってほしい……」  彼はすっかり発情していた。ハーデスの胸元にすりよって、下肢のたかぶりを訴える。 (いったいどういう状況なんだ、これは)  ハーデスはなかば途方に暮れた。いっそ流れに身をまかせてしまうべきか。かたわらでじっとこちらを観察している親友の存在を、どうにか意識から追い出して、できるだけなにも考えずに、彼の中心を指ではじいてやった。 「っ……んあ……」  じんとした快感にからだの力が抜けて、彼はハーデスにもたれかかった。  ハーデスが、先ほど好きにいじくられた仕返しだとばかりに、ぐっしょりと濡れたそこを揉みしだくと、彼は堪えがたいように身をくねらせた。  ——言うほど小さくはない。平均よりはデカいんじゃないか。  熱情から思考をそらすように、気にしていたらしき大きさをたしかめる。それよりも、敏感なところが気になった。刺激に慣れていないのか、あるいは慣れているせいなのか。裏筋を指の腹でぐりぐりと擦ってやると、面白いくらいからだを跳ねさせるので、いつしかハーデスは、彼に快感をあたえる愉しみに没頭していた。 「ぁー、……い、いき……そう……」 「この程度で出るのか、早いな」  布越しの、しかもたわむれのような愛撫で。  ハーデスに嘲笑われて、彼はむっとしたような顔をみせたが、その眉尻も齎される快感によってすぐに下がってしまった。  あのハーデスに触られている、ということを意識するだけで、わけがわからなくなってしまう。  ほとんど抱きしめられた体勢で、あたたかな体温のなかで、かれのゆりかごのような呼吸に身をゆだねて。顔を上げて意地悪げな笑みを視界にいれたりなどすれば、心臓がばくばくと跳ねて、目をそらしたり、閉ざしたりすれば、今度は感覚が鋭敏になってたまらない。 「はっ、んっ……んっ……」  血液が限界まで集中し、がちがちに硬くなったそこがひくひくと震える。ハーデスの手によって絶頂に導かれている。精巣をかるく揉まれて、雁首を擦られて、裏筋をくすぐられて、先端をなでられて——足の指が丸まっては開いて、シーツにしわが寄った。 「ぁ……っ」  迫りくる予感にぴんと脚が伸びる。 「……い……く……っ」  びくん、びくん、と身体が痙攣する。ハーデスの手に握りこまれたそこから、布地ごしに絶頂の証がつぎつぎにじみ出した。  ハーデスは焦らすような手つきをやめて、根元からしぼりだすように、彼のものを優しくしごいてやった。 「きもち、いい……」  《《自慰》》とは明らかに質のちがう快感。こんなものを知ってしまったあとでは、とてもひとりで処理するだけで満足できる気がしなかった。 「……ぁ……っ」  臀部にごりっとしたものが押しつけられる。ふーと興奮した吐息が首筋にかかり、彼はあらたな悦楽の予感にふるえた。 「……セックスの真似事をするんだったな」  ハーデスの両腕が彼をがっしりと抱きしめて拘束した。 「ん……はっ……」  ぎしっ、ぎしっ、と、下から突き上げる動きにベッドがきしむ。尻のあわいにちょうど挟まるように擦りつけられるものは、火傷してしまいそうなほど熱かった。ハーデスも我慢の限界だったのだ。布地ごしのもどかしさに、かれの腰遣いはどんどん乱暴になっていく。  ハーデスは無言でしばらく彼を揺さぶりつづけたあと、抱きしめていた力をゆるめて、そのままベッドに押し倒した。 「はー、……うつ伏せになれ」  余裕のかけらもない表情で下された命令に、彼は恍惚としながら服従した。  ハーデスが覆いかぶさり、彼の両手をぬいつけ、開いたふくらはぎをさらに上から足でおさえこむ。支配関係の刻みつけられた体勢に、彼らの中枢神経がアドレリンに犯される。  ためしにその気になれば抵抗できるのか、彼が四肢に力をいれると、びくともしない。ぞくぞくとした興奮に肌が粟立った。 「大人しくしろ」 「んっ……!」  その動きが伝わったのかハーデスが、ぱん、と腰をひと突きした。どろどろの下肢が、さらにじんわりと濡れてシーツを汚す。彼のからだは完全に弛緩してしまった。もっと突いてほしくて腰を揺らそうとしても、言うことを聞かなかった。どうあがいても逃げられない。  彼は本能的に戦慄した。  ハーデスが腰を打ちつけるのにちょうどいい場所をさがして、ぐりぐりと熱杭を押し当てている間、彼は唯一自由である首から上、視線をぐるぐるとさまよわせた。  おだやかな微笑みを湛えた顔が、どうしたんだい、というように彼をのぞきこむ。 「ヒュ……ヒュトロダエウス……」  その名を呼んだのは、助けを求めたかったのか、それとも。 「……っひ」  いずれにせよ言葉がそれ以上つむがれることはなく。  ぱんぱんぱん、と乾いた音がはげしくなりひびいた。自分の快感だけを追うような、無我夢中のピストンが、何度も何度も尻肉を押しつぶす。それだけではものたりないのか、ときおり腰を密着させては、奥にある窄まり付近を先端でぐりぐりと探る。 「ぁっ、ハーデス、……っ」  ローブに遮られてはいるものの、確実にすこし食い込んでいる。これでは本当の《《セックス》》になってしまう。だめだ、本気になってはいけない。邪魔な障害物をはいで、中に挿れてほしいなど求めてはいけない。  ところで、そもそもどうしてこんなことをしているのだろう?  ふとわいた疑問に、快感にけぶる脳が、これは真似事ではなく《《セックス》》なのだと認識しなおした。 (そうだ、僕は、ハーデスと恋人で、……僕は今、彼とセックスして……いるんだ……)  ハーデスの先端をほんのすこし咥えこまされた後孔が、きゅうきゅうと収縮した。彼はたまらなくなって額をシーツに擦り付けた。精神的には最高潮に興奮しているというのに、肉体的な快感が足りなくて、腹の奥にたまる熱を解放することができない。それはハーデスも同じようで、いつまでたっても終わりの見えない行為に、苦しげな息をもらしていた。 「……はっ、はっ……、はぁ……っ」 「うーん、これじゃあ、恋人同士のセックスというよりは……強姦だね」  気持ちよさそうだけれど——。  ヒュトロダエウスは彼の顎をもちあげた。 「…………っぁ……?」  くちびるを甘く食まれた瞬間、彼の暗示が解ける。 「そろそろ、本当のセックスをしようか」  《《遊び》》にすぎなかったはずの、ヒュトロダエウスの《《本気》》が目の前に突き出された。  ——彼らの夜が《《真似事》》だけで終わるはずもなく。 「……セックスって……すごい……」  ハーデスとヒュトロダエウスに挟まれて寝ながら、彼はしみじみとつぶやいた。  ハーデスに盛りのついた獣のように抱かれ、なぜかその後は、ヒュトロダエウスにもしつこく貪られ、さらにもう一度ハーデスに抱かれた。その熱狂を止められる理性は誰も持ち合わせてはいなかった。とにかく気持ちが良かったのだ。セックスの快楽が、愛という概念によって高まるのなら、ハーデスに抱く想いも、ヒュトロダエウスに抱く想いも、同じものなのだろうか。 「ハーデス……僕は……君が、好きで……」 「……ああ、さっき何度も聞いたが」 「お……起きてたのかい」  何度もというのは、彼がハーデスに抱かれながら、幾度も好き、好き、とよがっていたからだ。そしてハーデスにも、たった一度だけだが、好きだと返されたことを彼は覚えていた。 「僕……ヒュトロ、ダエウスに……」  ——ワタシに抱かれているときは、ワタシがキミの恋人だよ。  などと言われて、ヒュトロという愛称で呼びながら、ハーデスに対するように好き好きと喘いでいたことを、前後不覚になっていたとはいえ、はっきりと覚えていた。 「嫌だと思うなら、はじめから止めている」  《《真似事》》だろうとな。  ハーデスは、余計なことは考えるなと言うように彼を抱きしめた。 「ヒュトロダエウスはどうして僕を……」 「ハーデスに抱かれたあとのキミの魂の色が、たまらなく魅力的だったからね」 「き……君も起きてたのかい」  ヒュトロダエウスは、彼を抱きしめているハーデスごと腕のなかに抱えて、満足げな微笑みを浮かべた。 「どうするんだい、ハーデス。彼の心は、だいぶワタシにも揺れているようだけれど」 「そっ、そんなことは……っ」  しどろもどろになりながら否定の言葉を考えるも、そんなものは存在しなかった。ハーデスに抱かれるのも、ヒュトロダエウスに抱かれるのも、同じくらい気持ちいいと思っていたのは、まぎれもない事実だったからだ。 「まあ……お前に惹かれないやつはいないだろう」  ハーデスは至極当たり前のことのように言った。 「…………キミって、たまにとんでもないことを言うね」 「ヒュトロ、……照れているのかい?」  彼は物珍しいものを見ようと振り返ろうとしたが、ぎゅっと抱きしめられてそれは阻止された。 「……心のひろい親友をもてて何よりだよ」 「よく言う……私に少しでも負の感情が生まれたなら、お前が見逃すはずないだろう」 「フフ……どうかな、わからないよ」  ヒュトロダエウスは意味深な笑みをうかべながら、彼の髪を指先でもてあそんだ。ハーデスは口角をつりあげて、それ以上はなにも言わなかった。  沈黙のなかで交わされる会話を見つけて、彼はほうっと息をついた。  きっとハーデスの言っていることは事実で、彼らの間には、決して断ち切れない、友情という名の絆が結ばれているのだ。 (むしろ、僕が少し立ち入ったくらいで亀裂を入れるかもしれないなんて、考えること自体がおこがましいに違いない)  すうすうとヒュトロダエウスから規則正しい寝息が聞こえてきたころ、ハーデスがひっそりとつぶやいた。 「こいつは……私がお前を独占しようとすれば、おとなしく身を引くようなやつだからな」 「……そう……なのかい……?」 「もっとも、そんなつもりはないが。  ……独占されたかったか?」 「いや、僕は、……キミたちと、三人でいられたらいいなって」  ふたりの絆を割いてまで、どちらかを独占しようなど、彼にはとても考えられないことだった。 たがいの言葉の節々から感じる、信頼感が心地よいのだ。自分がいることで彼らが引き離されるとは思わないが、仮にそうなるのだとしたら、真っ先に身を引くのは、彼自身だっただろう。けれど、この関係が許されるなら。 「……ずっと三人でいたいんだ」  そんなに幸せなことってないだろう?  彼の提案に、ハーデスはそうだな、と小さく笑った。 →ヒュトロダエウスルート  彼はハーデスにすがりついていた手をそっと離した。  これは知識を深めるための行為であって、それ以外の何物でもない。ヒュトロダエウスだって、まじめに教えてくれているだけなのだから、勝手に反応して、興奮している自分がおかしいのだ。否、この症状だって、生理的な現象でしかない。《《セックス》》と肉体的悦楽は、切っても切り離せない関係だということくらいは、わかっているつもりだ。つまりハーデスに見られているとか、彼としたいとかしたくないとか、そんな余計なことを意識していることがいけないのだ。 「ヒュトロダエウス……続きを、教えてほしい……」  彼は身をゆだねるように、四肢をシーツの上に投げだした。 「本当にいいのかい」  彼とハーデスの両方に確認するように、ヒュトロダエウスは問いかけた。だがその表情は大変に面白がっているもので、彼の建前の奥に秘められた期待も、顔を背けているハーデスが、意識を集中させながら、ちらちらと視線を向けているのも、すべてお見通しだった。 「ハーデス、……見ていてくれ。君の分も《《セックス》》というものを理解してみせる」 「何を言っているんだ……お前は……」  いたって大真面目な顔で言われて、ハーデスは緊張の糸が解けたようなため息をつくと、彼の頭をくしゃりとなでた。  ヒュトロダエウスが、フフ、と笑った。 「こんなものはまだ序の口だよ」  彼の立てられた膝をもちあげて広げる。ゆったりとしたローブがめくれあがり、腰のあたりでたわんで、股の間をかろうじて隠した。ヒュトロダエウスの身がおりかさなって、その布地越しにすりすりとふくらみが押しつけられる。 「そ……それって、本当に……た、ってない、のかい?」 「うん、さわってみるかい」  ヒュトロダエウスが彼の手を取った。 「えっ、ちょっ」戸惑いの声があがるのを微笑で封殺し、みずからの《《そこ》》へ誘導する。やわらかな感触がてのひらに当たって、彼は赤面しながらも、好奇心のまま形を確かめるようにふくらみを握った。 (ヒュトロダエウスにも《《付いて》》いるのだなあ)  同じ男なのだから当たり前のことではあったが、どこか浮世離れしているような雰囲気が、ヒトらしさというものを意識させないのだ。けれどそこには確かに《《雄の象徴》》が存在していて、今はふにふにとしているそれも、海綿体に血液を集中させて、芯をもって膨張したりするのだ。どんなに涼しい顔をしていたって、陰茎を刺激して至る絶頂の快楽も知っているし、付け根には子種のつまった精巣をぶらさげていて、射精という現象を何度も経験している。そう思うと、なぜだか彼の心臓は鼓動を早めていた。  ——それにしても、やたら大きい。  これで《《平常》》だというのはやはり信じられない。陰嚢のずっしりとした重みは本物に他ならないだろうが、他はひょっとして見栄をはっていたりはしないだろうか。彼はちょっとしたいたずら心で、握りしめたものをぐにぐにと揉んでみた。 「あ、大きく……」 「っ……さすがに物理的に刺激されたら、ね」 「ちょっと待ってくれ、ど、どこまで大きくなるんだい」  どくん、どくん、と脈うちながら、幹が形をはっきりとさせる。彼はあわてて手を離した。みるみるうちに膨張したそれは、今やローブを持ちあげて規格外の存在を主張していた。  他人のものをさわるのは当然はじめてだったし、見たことだってない。もしかするとこれが《《普通》》のサイズだったりするのだろうか。不安になった彼が、ハーデスにちらりと視線を投げると、かれは若干引いたような顔つきをしていた。なるほど、かれから見てもヒュトロダエウスのものは規格外らしい。ほっと息をつく。 「キミ、わかってるのかい、これからワタシと《《セックス》》するってこと」  視線をはずしたことをとがめるように、ヒュトロダエウスは彼のあごをつかんで、強制的に顔を向き合わせた。叱られているような気分になって、彼は肩をちぢめながら言葉を返す。 「ぁ……、する真似をして、教えてくれるんだろう……?」 「今のワタシは、キミにとってなんだい」 「えっと……先生……だ」  たしかに教えを乞う立場だというのに、姿勢がなっていなかったかもしれない。自分は今、生徒なのだと身をひきしめる。  だがヒュトロダエウスはゆっくりと首を横に振った。 「キミは先生とセックスするのかい?」 「あ……その……、ごめん、意味が、よく……」 「簡単なことだよ。セックスは、恋人とするものだろう?」  それは、つまり。 「キミは今——ワタシの恋人なんだ」  いまいち要領を得なかった思考のピースがつながる前に、ヒュトロダエウスが告げる。  恋人。脳髄にじわじわとその意味が浸透していく。 (あのヒュトロダエウスが……僕の、恋人)  すべてを見透かす瞳に覗かれながら、彼はぼんやりと反芻した。 「セックスは感情で高めるものだ。ワタシの恋人だと思いこんで……なりきるんだよ。ああそうだ、愛称で呼ぶなんてどうかな」 「愛称……ヒュ…………《《ヒュトロ》》……」 「いいね、その調子だ」  イマジネーション——想像力は創造魔法を行使するのに必要不可欠な能力だ。彼は特にイメージするのが得意だった。やや雑念が混じりがちなところはあるが、それも幻想の世界に没入しているからこそ。今はその優れた能力を、ヒュトロダエウスとの性愛の探究に発揮していた。 「っ……ぁ……」  明確に熱をもった塊をあてがわれて、まるで欲情されているような錯覚に堕ちてゆく。 「ワタシのをさわってみて……どう思ったんだい」 「お……大きくて、熱い……」 「それが、これからキミのなかに入るんだよ」  彼は咥内にたまった唾液をのみこんだ。  はいるわけがないという恐怖の痺れと、いれるふりをするだけだから大丈夫だ、という理性的な感情がまじわり、脳がくらくらと錯乱する。後孔のいりぐちがひくひく収縮する。あんなものが入って、出し入れされたら、おかしくなる。 「……いれるよ」 「——……っ!」  かすれた声で宣告され、ぐっと腰を突き出されれば、彼は衝撃に声なき悲鳴をあげた。  ただの、真似事であるはずなのに。実際に押し当てられている場所も、布地越しの尻のあわいに過ぎず、はしたなく涎をたらす性器にも、その後方の窄まりにも掠めてすらいない。  けれど規則的な動きで、とん、とん、と腰を動かされると、まるで本当に抱かれているかのように、あわい快感が身体をつきぬけるのだ。何度目かの穿ちで彼は、突かれている箇所が会陰部であり、その奥には前立腺があるという知識を思い出した。 「気持ちいいかい」  今まで聞いたこともない甘やかな声で問われて、彼はなにも考えられないままうなずいていた。  快感の強さでいえば、大したことはない。けれどこの行為は《《真似事》》で、そうしていると思い込むことが大切なのだ。 「っ……ん……は…………んっ……」  ヒュトロダエウスの動きにあわせて、ひかえめに吐息まじりの声を漏らすことを試みる。  一瞬、打ちつける動作が止まった。 「ァ、ッ……」  今度は本物の《《嬌声》》だった。ひときわ強く身体をゆさぶられたのだ。  心なしか熱量が大きくなった気がして、頭上をうかがうと、真剣な表情に見下ろされていた。目が合ってすぐにいつもの微笑みで取り繕われたが、彼の網膜にはすでに焼きついていて、手遅れだった。ぞくっと肌が粟立ち、心臓がはねるように鼓動した。 「ヒュ、ッ……ヒュトロ……っ」  両手がシーツに縫い付けられる。抵抗する気はなかったが、逃れようのない状態に持ち込まれたという事実が、官能に火をつける。 「はっ、あっあっ……待っ……はっあ……」  ヒュトロダエウスがピストン運動を速めて、ぱんぱんぱん、と空気の圧縮音がなりひびいた。 「……キミのなか、すごく、いいよ……」  追い討ちをかけるように吐息がふきかかった。ヒュトロダエウスの身体が彼に覆いかぶさり、片手が解放されるかわりに頭を抱えられ、肩口に顔をうずめる形となる。フレグランスの奥に秘められたかれ自身の体臭を感じて、めまいのような興奮を覚えた。聴覚も、嗅覚も、触覚も犯されては、五感のほとんどを支配されているも同然だ。まだ残されている感覚に意識をかたむける。  味覚……そうだ、これは真似事だから、キスされることはない。あのほほえみを浮かべる唇を重ね合わされることはないのだ——、ちくりとした痛みが胸を刺した。その正体に思い当たって、彼は絶句した。これではまるで、本当に恋をしてしまったみたいじゃないか。 「ぁっ……ヒュ ……トロっ……もう」  やめてくれ、これ以上は——。 「うん……、ワタシも、イキそうだ」  舌を動かしきる前にかぶせられて、言葉が引っ込んでしまう。まさか、こんな本当に《《出す》》はずはないだろうが、心臓がばくばくと鼓動して、胸が詰まった。からだが勝手に《《期待》》していた。先ほどまで友人であったはずの男がみせる、絶頂の瞬間に。  あるいは、ヒュトロダエウスには、先の言葉が予見できていたのかもしれない。彼は感覚器官よりも以前に、精神を支配されていたのだ。第六感——エーテル感応を研ぎ澄ませればわかる。かれの魔力に全身をつつまれて、酔わされていることが。 「はー、……気持ちいい……」  追い込みをかけるように、腰使いが生々しく、激しくなる。ぎゅうと抱きしめられ、ぐりぐりと奥に擦りつけられるようにされて、たわんだローブがずれていく。  とうとう下着に直接、熱源が触れた。 「あ、っ……あっ……あっ……おかしく、なる……っ」  ぐっしょりと濡らした布地を擦られて、ぬちぬちと粘着質な音が引く。  これは本当に《《真似事》》なのだろうか?  気持ちよくて、どきどきして、口づけてほしいとさえ……思っているのに。  ヒュトロダエウスの荒い息遣いに、耳の奥まで犯される。これは本当に演技なのだろうか。この下肢を濡らす分泌液は、果たして彼だけのものなのか。 「ぁっ……ハ、っ……!」  彼はわけもわからず《《視覚》》に助けをもとめた。  ヒュトロダエウスの肩越しに、黄金の瞳と目が合った。 「ぁ……ぁ……ああ……っ」  ゾクゾクゾクと背筋を電流が駆け抜ける。同時にヒュトロダエウスが、出すよ、と低くうめいて、下着越しに先端が窄まりをえぐった。 「——っ……んっ……ぁ、っ……、っ……」  下肢の中心にあついものが広がっていく。  断続的な吐精を繰りかえしている間、彼はハーデスのまなざしに囚われたままだった。  ヒュトロダエウスは、後孔にぴたりと合わせた先端を、何度かひくひくと脈打たせたあと、余韻をたっぷり残して退いた。視界が一瞬さえぎられて、彼はようやくハーデスから目をそらすことができた。 「…………おや、本当に《《出て》》しまったのかい?」  先ほどまでの情感に満ちた声音はどこへやら、ヒュトロダエウスは朗らかな口調でわらった。  いったいどこからどこまでが本気だったのか。あるいはすべてが演技だったのか。つかみどころのなさに恐ろしくなる。あの射精の痙攣じみた、ひくひくとした動きさえ、自力で随意筋を収縮させていたに違いないのだ。  彼自身は、今も快感の余韻からぬけ出せていなかった。はぁ……はぁ……と落ち着かない呼吸を吐きながら、解放された手を、なにかを探すようにさまよわせる。本当はハーデスの手に重ねたかったのだ。けれど躊躇してしまった。彼は自分の気持ちがよくわからなくなっていた。 (僕は……どうして……)  気まずさが喉に引っかかってなにも喋ることができない。《《真似事》》として終えられたのはヒュトロダエウスだけで、彼はすっかり恋人としての役に入り込んで、本気で抱かれている気分になって、あげくに射精までしてしまったのだ。それも……ハーデスの目の前で。  ぐちゃぐちゃの感情をもてあまし、ぎゅうとシーツをにぎる。  その甲をうえからハーデスの手がつつみこんだ。  彼はおどろいて顔を上げた。 「……セックスについて、理解できたか?」  それはまぎれもない欲情した顔つきだった。そして、その言葉にどういう意味が含まれているのかさえわかってしまう程度には、性愛の情感も理解できていた。 「まだ……わからない……」  ハーデスの陰がおりてきて、唇にやわらかなものが触れた。ふー、ふー、と荒い鼻息がかかった。  ——その夜は《《真似事》》だけで終わるはずもなく。 「……僕は……どうすればいいのだろう……」  ハーデスとヒュトロダエウスに挟まれて寝ながら、彼はぼんやりとつぶやいた。  そもそもハーデスへの想いさえ胸に秘めておくつもりだったというのに、知らぬ間にヒュトロダエウスにはバレていた上に、その恋情さえ《《真似事》》のせいで錯綜してわけもわからなくなっていたところで、なぜかハーデスに抱かれて、そのあとでヒュトロダエウスにも抱かれたのだ。  混乱したままめくるめく快感にのまれて、自分の感情の答えは、まだ出ていない。 「どうかする必要があるのか?」 「お……起きてたのかい、ハーデス」  かれは目を閉ざしたままだった。眠そうな声をあげて、余計なことは考えるなとでも言うように抱きしめられる。 「なんで、あの……君は、僕を……」 「別に……そういうつもりはなかったが、見ていたらその気になっただけだ」 (そういうつもりは……なかった?)  ハーデスの言葉の意味を汲みとりきれず、彼は眉尻を落とした。つまり気持ちなんて最初から最後までなくて、単純にそそられたから、セックスしただけだというのか。  それならそれで、かれの言うとおり、なにをどうする必要もないのか——などと考えたところで、ヒュトロダエウスが寝返りを打った。 「それはさすがに、言葉が足りないんじゃないかなあ」  ハーデスはバツが悪そうにもぞもぞとシーツに顔を埋めた。 「……察しろ」 「ハーデスはキミのことが——」 「待て、わかった、言うからやめろ」 「え、……え?」  彼は困惑したようにふたりを交互に見やった。ハーデスのほうを向いたとき、彼の頭はがっちりと掴まれて、不意に唇が食まれた。すぐに離れたそれは、ほんとうによく耳をすませなければ聞こえないほどの声量で、たしかに《《好きだ》》とつぶやいた。  彼の頬は真っ赤になったが、ハーデスは負けずおとらず耳まで赤くなっていた。 「そういうつもりはなかった、って、何なんだい……?」 「キミと一緒にいられればそれでよくて、セックスする必要性を感じていなかったってことだよ。ほら……《《経験》》もなかったしね」 「黙れ」 「…………僕も《《経験》》はなかったけれど……」 (まるで僕ばかりそういうことを考えていたみたいで恥ずかしい……) 「彼がムッツリなだけだと思うよ」 「えっ、僕、今、声に出していたかい……?」 「お前ら、もう寝ろ!」 「おっと……こわいこわい」  ちっとも怖くなさそうな調子で、ヒュトロダエウスは寝具にもぐりこんだ。 「じゃあ……ヒュトロ、……ダエウスはどうして」 「彼に抱かれたあとのキミの魂の色が、たまらなく魅力的だったんだ。それに……」 「……それに?」  ヒュトロダエウスは、ハーデスに聞こえないように息をひそめてささやいた。 「……ワタシに抱かれたくて、たまらないって目をしていたからね」  彼はひゅっと息をのんだ。否定できない事実だった。 「そ……それは……」 「……言っておくが、聞こえているぞ」 「ハ、ハーデス、僕は……」  しどろもどろになりながら言い訳を考えるも、そんなものは存在しなかった。ハーデスのことを好きだと思う気持ちも、ヒュトロダエウスに抱かれたいと思った気持ちも本当なのだから。 「嫌だと思うなら、はじめから止めている」  《《真似事》》だろうとな、とハーデスは続けた。 「心のひろい親友をもてて何よりだよ」 「ハァ……、よく言う。私に少しでも負の感情が生まれたなら、お前が見逃すはずないだろう」 「フフ……どうかな、わからないよ」  ヒュトロダエウスは意味深な笑みをうかべながら、彼の髪を指先でもてあそんだ。ハーデスは口角をつりあげて、それ以上はなにも言わなかった。  沈黙のなかで交わされる会話を見つけて、彼はほうっと息をついた。  きっとハーデスの言っていることは事実で、彼らの間には、決して断ち切れない、友情という名の絆が結ばれているのだ。 (むしろ、僕が少し立ち入ったくらいで亀裂を入れるかもしれないなんて、考えること自体がおこがましいに違いない)  すうすうとハーデスから規則正しい寝息が聞こえてきたころ、ヒュトロダエウスがひっそりとつぶやいた。 「彼は……ハーデスは……ワタシがキミを独占しようとすれば、身を引くような男だからね」 「……え……それ、は……」 「もちろん、そんなつもりはないよ。キミのかがやきは彼あってのものだ」  ヒュトロダエウスは、ハーデスの残滓がきらめく彼の唇をすくうように口付けた。他愛のない、児戯のような、やわやわとした触れ合いをしばらく味わったあと、彼はねむるハーデスにも口づけて、ささやいた。 「それなら……ずっと三人でいよう」  そんなに幸せなことってないだろう?  彼の提案に、ヒュトロダエウスは優しくほほえんだ。