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創造決闘場にて

 十四人委員会は、知恵と力が優れた者が選ばれる。  それは人類の代表として星の管理を担う、重要な使命を帯びているからである。  たとえば隕石メテオの落下を観測すれば、一丸となってこれを破壊するし、星に害なす生命体が飛来してきたとなれば、創造魔法によってこれを打ち倒す。  そして、十四の座の中でも、特に《《力》》に優れた職責を司る——。 「いつでもどうぞ、ナプリアレス」  その男は片手を差し伸べた。  一見無防備のようにも見えるが、彼を核として膨大な魔力が静かに渦巻いている。ヒュトロダエウスの目にはそれが明らかだったが、はじめて彼と模擬戦を行う《《ナプリアレス》》にとっては、油断の姿勢と見て取れたらしい。 「だったら遠慮なく……『トリプル』!」  これでもかというくらいの魔力が練られていく隙も見逃して、男はただ黙って見ているだけだ。 「おいおい、本当にいいのか?」ナプリアレスは半笑いで多重詠唱を起動した。 「彼、とても緊張しているね」  ヒュトロダエウスは、となりのエメトセルクの座に在る友に語りかけた。  エーテル波長を読み取ることに長けたヒュトロダエウスは、本人さえも気づかない、本能的な怖れを感じ取っていた。おそらくあの笑みは、緊張を和らげるための生理現象だ。 「……『スパーク』ッ!」  大きな煌めきが創造決闘場をまばゆく照らし尽くし、現出した三つの雷の玉が弾丸となり決闘相手を撃ち抜いた——はずだった。  ほんの少しだけの動きだった。  広げられた掌が《《何か》》を握りしめた。 「……はっ?」  間の抜けた声をあげて、ナプリアレスは硬直した。それも仕方のないことだ。なかなかお目にかかれないほどの密度で編まれた雷球は、彼の手に握りつぶされたかように圧縮され、静かに収束してしまったのだから。 「さすが、あの人だ。あんなに高密度のエーテルを一瞬のうちに分解してしまうなんて……」  ざわめく周囲のひとりとなってヒュトロダエウスは感嘆した。  十四人委員会の模擬戦は、今や市民たちの娯楽のひとつとなっていて、最初は何もないただ頑丈につくられた広場だったのが、いつの間にやら観客席まで創造されている。ついでに、魔力の余波で誰かが傷ついたりしないように、審判を務めるラハブレアが結界を張っていた。あの爺さんは働きすぎだ、とはエメトセルクの談だ。  そのエメトセルクは退屈そうに頬杖をついていて、「この程度、あいつにとっては当たり前のことだ。見るまでもない」と言いながらも目下決闘場から目を離すことはなかった。 「フフ、彼はキミのお気に入りだからね。……あ、《《キミが》》彼のお気に入りなのかな?」 「……どちらでも変わらんだろう」 (成る程、どちらでもある、ってことか。)  ヒュトロダエウスは口には出さずに頷いた。  あえて否定しなかったのは、それ以上突っ込む余地を与えないため——つまり墓穴を掘らないためだ。ヒュトロダエウスに嘘や誤魔化しは通用しないというのを、長年の付き合いからエメトセルクは厭というほど思い知っていた。 「もう終わりかい?」 『スパーク』を消し去った掌が開かれ、ぱりん、と音を立てて虚空にエーテルの煌めきが散る。雷属性の結晶が三つ、地に落ちる。  戸惑うナプリアレスに対して投げかけられた言葉に挑発する意図はなく、戦意の有無を確かめただけであったが、むしろそのことがナプリアレスの神経を逆撫でたらしい。 「チッ……これならどうだ⁉︎」  大地に亀裂が走り、足元が割れる。  広範囲の『クエイガ』によってぐらりと姿勢を崩した男の背に、土塊の尖端があわや突き刺さらんとしたところで、風にさらわれる綿毛のごとく空中へと逃れる。続けて詠唱された『スパーク』もそのままひらひらと躱し、追尾の概念を刻まれたものは先ほどと同様に、圧縮分解されてクリスタルになった。  避けられた『スパーク』が魔力結界に何度も衝突し、ひび割れが走った。 「おお……、あれをまともに食らったら相当な威力に違いないんだけどな。ラハブレアの結界に傷がつくのは、キミやあの人の魔法以外で見たことがないよ」 「詠唱が遅いのが問題だ。魔力を練り上げる時間が長いほど、対応に余裕を与えることになる」 「ふうむ、とはいえワタシからすれば、ナプリアレスの詠唱速度だってとんでもないものだけどね。ところで、あの人は元素魔法を一度も使っていないようだけれど……どうしてかな?」 「……あいつは最近、重力魔法にハマっている。かわいそうなナプリアレスは実験台というわけだ」  ひび割れた結界は即座に修復されたが、ナプリアレスのプライドはズタズタだった。座についたのが最近とはいえ、同じ十四人委員会でこれほどまでに力の差があることが信じられないのだろう。ましてや彼は魔法戦闘技術で高い成績を修めていたのだ。 「くそっ……強ぇ……」  ナプリアレスにもその原理は理解できていた。今はふざけているかのように逆さまに浮いている決闘相手だが、あれは風のエーテルを纏っているわけではない。元素魔法ではなく、重力という星の理に干渉する無属性高等魔法だ。それをあんなにも自在に操れるのは、万物の源たるエーテルへの造詣が深い証拠。  相手を侮っていたのはナプリアレスの方だった。当代《《最強の戦士》》と謳われる理由わけを思い知らされる。 「勝負にならんな。イゲオルム、お前も手伝ってやれ」 「仕方ないな……」  ラハブレアに命じられて、凛とした声の女性が前へ出る。 「ナプリアレス、私の邪魔はするなよ」 「そりゃこっちの台詞だぜ」  イゲオルム——彼女もまた力在る座に就任せし者だった。  ラハブレア直々に推薦され、十四人委員会の一員となった彼女の実力は折り紙つきだ。 「さしもの彼も、遊んでばかりはいられないね」 「だが、それだけだ。二人がかりだろうと、あいつの勝利は揺るぎない」  イゲオルムの姿が消えた。  否、あまりの高速移動に、ヒュトロダエウスの目には映らなかったのだ。  衝突音がしてはじめて市民たちは彼と彼女を視認した。絶対的優位性を誇っていた彼は、光り輝く盾でイゲオルムの剣を防いでいた。 「今日こそは……お前に膝をつかせてやる」 「熱烈だな。——おっと」  男の左手にあらたに顕現された剣が、隙をついて放たれたナプリアレスの『スパーク』を弾いた。 「まったく、野蛮きわまりない」  創造魔法を自在に行使する戦闘に、市民がわきたち、ラハブレアの小言はかき消された。  イゲオルムの高速の剣技で襲いかかると、男は剣盾を捨て、両手に構えた短剣でこれを往なした。打ち合うたびに、稲妻のごとくエーテルが弾け、花びらのように残滓が散った。  その下からはナプリアレスが弾丸さながら『スパーク』を撃ちまくり、そのことごとくを避けられた結果、魔力結界を損傷させて、ラハブレアは深いため息を吐いた。 「いい加減、決着をつけてくれたまえ。私も暇ではないのだ」 「……と、議長も言っていることだし、そろそろ本気で行こうか」 「さっさと来い! 正面から打ち砕いてや……っ⁉︎」  油断なく創造武器を構えたイゲオルムは目を見開いた。  男は対面するイゲオルムではなく、援護するナプリアレスに狙いを定め、急降下と大剣による一刀両断で彼を地に伏せしめた。  咄嗟の防御壁さえ難なく破られたナプリアレスが「く、そ……っ」と悪態をつきながら膝をつくまでに、イゲオルムが『ファイア』を追撃したが、その時すでに男は姿を消していた。 「くっ……‼︎」 「やるじゃないか、イゲオルム……!」  背後からの一撃は、ほとんど勘で防いだようなものだった。  イゲオルムの創造剣は、より強固に創られたイデアによって砕け散った。  衝撃に圧されて落下するイゲオルムに向かって、槍をたずさえ貫かんと迫る男。  ヒュトロダエウスは思わず目を瞑った——。  数秒後。エメトセルクに肩を叩かれて、そっと目を開く。 「私の言った通りだろう?」  イゲオルムは、その喉元に切っ先を突きつけられていた。  しばし沈黙していた会場が、おおおおおお、と、大歓声に沸いた。 「一瞬だけど、本当に彼女が貫かれてしまうんじゃないかと驚いて目を瞑ってしまったよ。彼の気迫といったら凄まじいものがある」 「あいつの本気の片鱗といったところだ」 「キミは、本気の彼と手合わせしたことが?」 「ん……まあ、あいつが座に就くときにな……」  言いながらエメトセルクは嫌な予感を察知して、「用は済んだ、私は昼寝の続きに戻るとしよう」と立ち去ろうとする肩を、ヒュトロダエウスが期待に満ち溢れた笑みで掴んだ。 「もちろん、次はキミの番だろう?」  冗談じゃない、と顔をしかめたエメトセルクだったが、近くで話を聞いていた市民たちが、ヒュトロダエウスと同じかそれ以上の、きらきらとした期待の感情をまといながら、ふたりの会話に注目していた。 「待て、そもそもこの模擬戦は、星の管理にあたり必要な防衛力の維持のため行われているものであって、遊びでやっているわけじゃあない」 「誰も遊びと思って見てなんかいないさ。ただ興味があるだけだ。キミと彼のどちらが強いのか……ってね」 「だから、お前たちの——わかったわかった、少しだけだぞ。はあ……これだからここに来るのは厭だったんだ……」  あのヒュトロダエウスと口論するよりは、さっさと願いを叶えて終わらせてしまうほうが手間が省けるだろうと、エメトセルクは諦めた。  眼下では、市民の注目の的である男が、イゲオルムに手を差し伸べ、助け起こしているところだった。ラハブレアの魔力結界も役目を終えて、今は解除されている。 「やれやれ……私とあいつがやるとなると、ラハブレアの爺さんもそろそろ過労死するんじゃないか?」  以前に模擬戦を行ったときは二人きりであったので、周りへの被害など気にする必要もなかったが(建造物が破壊されても後から創造し直せば良い話だ)、市民に魔法のひとつでも当たれば一大事だ。  まあ——とエメトセルクは辺りを見回した。  ミトロンとアログリフ、エメロロアルスに、ハルマルト……十四人委員会のほとんどが出揃っている。  あいつら暇人か、と嘆いてもそれは自分自身に跳ね返ってくる言葉でもある。いくらヒュトロダエウスに引っ張りだされてきただけとはいえ。ともかく、これだけ居るのなら結界を強化するくらい造作もないことだろう。 「貴様が来るとは珍しい。何があった? エメトセルク」  ラハブレアの隣に降り立ち、投げかけられた言葉に、非常に面倒だという気持ちをがっくりと曲げた背で示しながら、エメトセルクは事情を説明した。 「我らがアーモロート市民に、己が実力を示せと訴えられたものでな。悪いがそこの男と手合わせすることになった。もちろん、断ってくれてもいい。いや是非とも断ってくれ」 「君と……かい? そんな申し出、僕が断るわけないじゃないか」 「だろうな、」とエメトセルクの肩はさらに落ち込んだ。  実のところ《《あの時》》の決着は未だついていないのだ。別につける必要などないとエメトセルクは思っていたが、無論、相手もそうであるとは限らない。  だからといって手を抜いたり、わざと勝ちを譲るなどということもできない生真面目な性格を持つせいで、結局このようなことになるのだ。 「市民が望んでいるのであれば応えてやれば良い。貴様らの魔法で新たなひらめきインスピレーションも浮かぶやもしれん。存分にやれ」  ラハブレアは、アカデミアで馴染みのあるミトロンとハルマルトを呼んで結界を強化することにしたらしい。  議長権限で許しを得なければ、この面倒ごとだって避けられただろうに、とエメトセルクは何度目かもわからぬ嘆きを覚えたが、よくよく考えてみると、あの男はラハブレアの幻想魔法創造術に焦がれていて、やや一方的な師弟関係を築いているのだったな、と思い直した。  ——そもそも、なぜここまで私が譲歩しなければならないんだ。  ふつふつと沸き立ってくる、心地よい昼寝を邪魔された怒り、面倒ごとを常に持ってくる腐れ縁の友への苛立ちが、エメトセルクの魔力をざわめかせる。 「……ッ、エメトセルク。君の本気の魔力を感じると、それだけで肌が粟立つ。僕は君とはじめて戦ったときのことを忘れられない。あれから、君はどう頼んでも続きをしてくれなかったが」 「……前回は、お前の力を図るために致し方なくやったが、こんな面倒なことやりたくないに決まっている」  日常ではそうそう味わうことのない、戦慄という娯楽、それに逸る気持ちをエメトセルクとてわからないでもなかったが、それ以上に、疲れることはしたくないのが本音だった。ただでさえ常日頃から振り回されて疲れているのだ。  とはいえ、厭だと言いつつ、嫌ではないのも事実だ。 「だったら君にも利点があるようにしよう。そうだ、僕が敗けたら君の言うことをなんでもひとつ聞く、なんていうのはどうかな」 「ほほう?」  それはエメトセルクにとって魅力的な提案に違いなかった。  今後は面倒ごとに巻き込むなという願いを叶えられる。いや、内容についてはもっと熟考するべきか——などと結果を待たずについ考えてしまう程度には。 「一応聞いておくが、私が敗けた場合はその逆になるということか?」  エメトセルクは、簡単に勝てるとは思ってはいないものの、さりとて敗けるとも思っていなかった。 「君と戦うこと自体が僕の願いでもあるし、この条件は僕にだけ適応してもいいのだが、《《後がない》》ことで君がより本気を出してくれるなら、そうしようじゃないか」 「いいだろう。私に本気を出させたこと、後悔するなよ?」  十四人委員会の中でも、彼らは互いに一目置いている間柄だ。市民は大いに盛り上がった。  しかしその喧騒はまもなく聞こえなくなる。 「ナプリアレス、イゲオルム、下がれ」  ラハブレア、ハルマルト、ミトロン(——と仲のいいアログリフも協力しているようだ)の三人がかりで構築された魔力結界が創造決闘場を覆った。強力である分、視認性こそ確保しているものの中の音は遮断されている。同じように、内側にて対峙するふたりに周りの音はもはや届かなかった。  しかし、仮に結界がなかったとしても、彼らに周りの音など耳に入らなかっただろう。極限まで高められた集中力が、相手の詠唱の一音も聴き逃すまいと、あるいはイデア創造の概念構築を行いながら、互いに相手の一挙一動を観察する。  先手を取ったのは最強の戦士たる男だった。  目にも留まらぬ速さでエメトセルクに肉薄し、魔力を纏った拳がその腹を貫かんと突き出された——。 「っ……⁉︎」  触れた瞬間にエメトセルクの体が霧散した。  手応えはなく、空を切った拳に残留エーテルが絡みつく。  これは幻影の罠だ。  察したときにはすでにエメトセルクの魔力の残滓が絡みつき、身動きを阻害されていた。創造されたのはごく一般的なエーテルロープだが、他ならぬエメトセルクの魔力で創られたそれはこの上なく頑強だ。 「いつから仕込んで……んぐッ!」  驚愕に口を開いた瞬間、しまった、と思う間も無く、ここぞとばかりにエーテルロープが入りこみ、魔法の詠唱を物理的に阻害する。 「はてさて。戦う前のお前は隙だらけだからな、いつでも仕込み放題だったとも。卑怯とは、言わせんぞ?」  実戦では、敵は如何な手段を用いてくるかわからないのだ。見抜けなかった者は死ぬ。不毛な争いなど存在しない世界ではあるが、それはこの星の中においての話だし、恒久の平和を守るためには、手段を選んでなどいられない。  エメトセルクはどこまでも己の職責に従順なのだ。 「面倒ごとはとっとと終いにするとしよう。ではな」  とどめの一撃として、気絶させる程度の魔力が練られ、拘束されている男に向け放たれた。 「ぐっ、うううッ……ああああああッ‼︎」  間一髪のところで概念魔法による盾が創造され、エメトセルクの魔力を防ぐ。  さらに男は内なる魔力を暴走させ、エーテルロープを無理やり引きちぎり、創造弓を引き絞り、追尾と強射の念がこめられた矢を放った。 「チッ……馬鹿力め」  咄嗟に創られたにしては強固なイデアだったが、エメトセルクの魔法障壁を貫くには足りず、矢は綻びかき消えた。  創造魔法は理論上イデアさえ確立していれば行使できる。想像力イマジネーション を補うために詠唱を行う者がほとんどだが、十四人委員会に選出された者が創造魔法に必ず詠唱を必要とするわけがない。それにあの男は、もとよりイデア武器を用いた戦闘技術を好む。警戒はしていたものの、まさかエーテルロープをこんなにも早く破るとは。  自然、エメトセルクの口角はゆるりと上がっていた。 「結局、彼も楽しんでいるわけだ」  ——本当、根が真面目すぎるのも考えものだよ。  ヒュトロダエウスは、創造魔法と元素魔法を飛び交わせ戦う困った友人達を見守った。  模擬戦は結界内外で白熱していた。一般市民たちは、それぞれ思い思いの方を応援している。  ヒュトロダエウス自身はというと、どちらも大事な友人なので、どちらをというのはなかったが、強いて言えば、あの人が勝って、エメトセルクにどんな要求をするかのほうに興味があったので、あの人を応援した。 「ちょこまかと……ッ」  ナプリアレスの『スパーク』を避け続けたときのように、エメトセルクの編んだ魔法はことごとく避けられる。  星の理に縛られた戦術では、重力魔法で自由に動く相手には通用しない。これが風を纏っているだけのものなら、六属相関に則り、火をぶつけてやれば事は済むが——。  彼が当代最強の戦士であるなら、エメトセルクは最強の魔道士である。あの男が創造魔法と無属性魔法しか扱っていないのは、元素魔法でエメトセルクに対抗するには分が悪いと判断した故に違いなかった。  実際、この上なく厄介ではある——が。 「僕の勝ちだ……ッ!」  弾幕をかいくぐり、光り輝く斧がエメトセルクに向かって振りかぶられる。  エメトセルクの魔法障壁は一撃のもとに砕け散った。それは、薄氷のようにあまりにも呆気ないものだった。 「そん、な」と男が目を見開く。  勢い余った斬撃は、  エメトセルクの左腕を切り裂き、  血しぶきが迸った。 「まったくお前は……学習能力というものがないのかね?」  高々とかかげられたエメトセルクの右手が、ぱちん、と指を鳴らした。 「——勝者、エメトセルク」  ラハブレアの声と、続いて、わあっと湧いた人々の声で男は意識を取り戻した。 「完……敗……だよ」 「当たり前だ、馬鹿者」  言いながらも見下ろしてくる表情に心配の色が見えて、敗北した男は無性におかしくてたまらなくなった。清々しい気分だった。 「左腕は、」 「あの程度の傷はすぐに治せる。お前も治してやるから動くなよ」  暖かいエーテルを全身に感じると同時に、急激な眠気に襲われる。エーテルをだいぶ消費したのだろう。  必要最小限の行動で、最高の結果を出したエメトセルクとは違い——。 「……ハーデス……いつか、必ず、君に……勝つ……」  その言葉を最後に、眠りに落ちた。  ……続々と撤収してゆく市民たちの流れに逆らい、ふたりのもとへヒュトロダエウスが降りてくる。 「残念、キミが敗けたほうが面白かったのに」  健闘者に向けて投げかけるにはあんまりな言葉だったが、慣れきっているエメトセルクは、むしろ思い通りにしてやらなかったことに上機嫌で(むろん、勝者の権利を得られたのも一因ではあったが)、おおげさに肩をすくめ戯けてみせた。 「ま、次はわからないが、少なくともそう簡単に敗けてやるつもりはないさ。あー、そうだな……一万年くらいは敗ける気がしないな」 「……それってつまり、ずっとってことじゃないか」 「その通りだが」エメトセルクは挑発的に笑うと、指を鳴らし、彼を魔法で浮かせた。  見ればもう十四人委員会も含めて、市民はほとんど立ち去っていて、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになっていた。  ラハブレアは決闘場の損傷した箇所を創造し直していたが(これには、本当に働きすぎだ、と、ヒュトロダエウスも思わざるを得なかった)。  彼を運ぶエメトセルクの背を見ながら、ヒュトロダエウスは、 (もしも、仮に、本当に殺し合うことになったのなら、どちらが勝つのだろう)  そんな想いがふと湧いて出た。  平和なこの星で、そんな未来はきっと来ない。けれど、もしもこのかけがえのない二人が戦う世界があったのなら。  それはとても——悲しい宿命だ。